未練の情景 ~夜行列車

未練の情景夜行列車
画像 国鉄改革による分割・民営化から、まもなく来年(2017)で30年を迎えるJR会社。1987(昭和62)年4月1日、約22万人の職員の眼差しが見つめる中で国鉄(日本国有鉄道)は、分割・民営化によって新たに設立された7つのJR会社に経営が引き継がれ、汽笛一声以来115年にわたる国鉄の歴史に幕が下ろされた。その国鉄改革の際に、国に残されたのが37兆1100億円に上る処理すべき膨大な旧国鉄の長期債務で、30年を経ようとしている今も同債務の処理・清算の業務は続いており、旧国鉄の負の遺産としてJRに“影”となって残る。 (参照公開ブログ…「旧国鉄長期債務の今」・2016.5.4)
画像 反面、115年の歴史と伝統を培って消えていった旧国鉄に、今以てなお郷愁めいた“未練”を心の内に秘める感傷派的な人も多くいるのではないだろうか。・・・~汽車にあって電車にないのは“未練”である。このまま行こうか戻ろうか。発車のベルが鳴っても、まだ間に合うのが汽車だった。ちあきなおみが歌った《喝采》には“…動き始めた汽車に/一人飛び乗った…”というフレーズがある。ドアが電動でないから、未練を断ち切って飛び乗ることもできたし、思い直して飛び降りることもできた。汽車はスピードが出るまでに時間がかかった。追いかけてもホームの端までは、平行して走ることができた。白いホームの途切れたところが、未練の切れ目だったのだ~・・・2006(平成18)年3月に急逝(70歳)した小説家であり演出家、作詞家、テレビプロデューサーでもあった久世光彦氏がエッセイ「昭和恋々・partⅡ」(2003(平成15)年清流出版)の中で書いている「未練」の件である。されど一方には、断ち切れない“未練”もある。新生JRの誕生から30年近く、世代交代には十分なその間に日本の鉄道はより近代的な姿へと様相を変化させてきたが、そうしたJRの姿(存在)を喜ばしいとしながらも何処かに115年の歴史と伝統を創出しながら消えていった旧国鉄時代の情景の諸々が忘れられずに心の隅に残り、日頃の気持ちの拠り所として持ち続けている人たちの“未練”である。
画像 1956(昭和31)年11月に運行を開始したブルートレインの先駆けとなった旧国鉄初の夜行特急あさかぜ」 〉

未練の情景夜行列車
 今年(2016)3月26日の北海道新幹線開業に伴い、旧国鉄の輸送史上で初の“夜行”と銘打って1956(昭和31)年11月に登場した夜行特急列車〈あさかぜ〉(東京~博多間)以来、国鉄~JR時代を通じて60年近くにわたり世代交代を続けてきた夜行列車(客車)は2016年3月21日の寝台特急列車〈カシオペア〉、同22日の夜行急行列車〈はまなす〉の最終運行を以てその歴史に幕を下ろした。
 とりわけ、夜行列車の中でも寝台特急列車の人気は高かったものの、その存在感が疎まれるようになったのはとりもなおさず東海道新幹線(鉄道高速化の幕開け)をはじめとする新幹線網の伸展だった。新幹線を利用すれば半日もかけずに行けるところを、何も強いて長時間をかけて夜行列車で行く必要もなくなったのだ。されど、東海道新幹線開業(1964(昭和39))の前においても、東京~大阪間を結ぶ列車には特急電車(ビジネス特急〈こだま〉)などの高速の優等列車が頻繁に運転されてもいた。しかし、特急でも6時間半以上を要し、仕事に充てる昼間のほぼ半日が移動時間に消えていた。このため、東海道など日本の動脈路線を往き来していたビジネスマンなどが捨て難いメリットがあるとして専ら利用していたのが、列車内で寝ている夜の時間帯に移動して時間の有効活用が見出せる夜行列車だった。また、昼間の特急列車の利用でまるまる半日を費やすよりも夜行列車での移動の方が時間の有効利用の点で合理的であったし、寝台料金は特急料金よりも高かったが高額なホテル代を節約できるメリットもあった。
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            国鉄~JRの時代を通じて最長距離特急寝台列車として東京~西鹿児島間を結んだはやぶさ」 〉
 しかし、1960年代半ば(昭和40年代)から10年ほどの間続いた日本の超高度経済成長による“高揚の時代”(いざなぎ景気)において、経済の繁栄と豊かな生活を反映してもたらされたハイウェイ時代やモータリゼーションおよび航空路の整備などに伴って国内主要都市間の昼間移動が短時間かつ容易となる環境が創り出されると、夜行列車に対する需要の減退化が始まった。その高度経済成長も、1970年代半ば(昭和50年代)に入って終わりを告げ日本の経済は停滞と低成長へ移行して行き、旧国鉄の経営状況もこうした経済現象に迎合するかのように低迷・悪化していった。そうした国鉄の財政悪化における輸送環境の下で、繰り返された国鉄の運賃・料金の値上げが航空運賃との格差を縮めるに至り、また、高速道路網の整備で格安な専用大型バスによる都市間夜行直行便の普及などがあって、速達性や利便性に欠ける夜行列車衰退への要因となっていった。そのような厳しい輸送環境に越して、辛うじて命脈を保っていた夜行列車ではあったが、航空路や新幹線網の整備・拡大の下でその多くがJR発足後の20~30年の間に次々と姿を消していった。

未練の情景夜行列車
 1957(昭和32)年から進められていた旧国鉄の動力近代化(石炭から石油・電力へ)の進捗に伴って、1967(昭和42)年には国鉄における電車の保有両数が1万台の大台を突破し、常磐線(上野~岩沼間354.3km)の全線電化、日豊本線小倉~幸崎間(151.8km)の電化が完成して国鉄の電化キロは4808km(電化率23.1%)に達した。ちなみに当時の日本の電化キロは、私鉄も合わせて1万628kmとなってソ連に次ぐ世界二位の鉄道電化率を示していた。この電化の伸展を機に国鉄はこの年(1967)、昼間は座席特急として、また夜間は寝台特急として昼夜を問わずにフル運行に就くという他に類を見ない、世界で初めてといわれた昼夜兼用の交直流特急寝台電車(581系)を新大阪~博多間(622.3km)に登場させている。
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                   〈 昼夜間両用型電車として1967(昭和42)年に登場した581系特急電車
画像 この1967年3月18日に配達された朝日新聞朝刊に載っていた長谷川町子さんの連載漫画「サザエさん」(4コマ)には、必要性が実質的に薄れてはいながらも当時はまだ往時の人気を保っていた寝台列車の情景が描かれていた。その一コマ目の描写…出発前であろうか、寝台車に乗って備えられている浴衣を羽織ってくつろぐマスオさん、一人で何処へ旅立つのだろうか、磯野家にしては随分と気張った旅のようだ。中央の通路を挟んで、2段式の寝台が両側に連なって並ぶ寝台車の車内。寝台の下段を使用するマスオさんは、同じ寝台の上段を使用する初老の相客に上段では“何かと大変ですから”と、旅は道連れとばかりに自分の下段のベッドを譲った。2~4コマ目の描写…下段の自分の寝台を譲ったマスオさん、目覚めて下段のつもりで立ち上がり、そのまま通路に転落してしまった。騒ぎを聞きつけ、周りの寝台からはカーテン越しに覗く顔、顔、顔。何事かと、通路のドアを半開にして車内の様子を訝しげに窺う専務車掌の困惑げな眼差し。
 しかし、寝台の上段・下段といっても高低には1メートルを超える落差がある。図らずも上段から転落して大変な目に遭ってしまったマスオさん、タダでは済まなかったのではないかと思い遣ると、一笑に付すにはマスオさんの善意に申し訳なく思えるサザエさんの4コマ目ではある。

未練の情景夜行列車
 1970年代半ば頃から始まった国鉄時代の長距離夜行列車衰退への要因として、高速道路網の整備に伴う廉価な直行型高速夜行バスの進展を前にも挙げたが、それに押されて夜行列車の輸送競争力(利用者の確保)は1980年代頃から低下していった。そのため、低下する夜行列車の輸送競争力回復に向け国鉄は、分割・民営化の国鉄改革(1987.4)が迫る末期になって個室寝台やシャワー設備の導入、ロビーカーの連結、食堂車のグレードアップなどによる夜行列車のイメージチェンジを図って起死回生に向け意欲を見せたが、十分な輸送需要が期せるほどの新たな夜行列車の創出には至らなかった。それでもJR発足時には、旧国鉄時代から継承されてきた今では想像もできないほどの夜行列車がきら星の如くに全国の鉄路を駆けていたのである。しかし、一旦凋落に傾いてしまった夜行列車に対する再生への手立ては厳しく、その後年を追う如くに運行の削減が続き、2006(平成18)年頃には全国で20本に満たない運行状況となっていた。その夜行列車も、最早ビジネス客などの長距離輸送の担い手としてではなく、“思い出に一度は乗ってみたい”といったような観光目的を主体とする非日常的な利用の場に様変わっていった。
画像 終焉を迎えた寝台特急カシオペア」 〉

未練の情景夜行列車
 2016(平成28)年3月26日に開業した北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)により、日本列島は九州から北海道までが一本の高速鉄道で結ばれることとなった。しかし、その陰で新幹線の運転開始数日を前に、辛うじて命脈を保ち風前の灯ともいえる状況の下で運行に就いていた最後の定期夜行列車(カシオペア、はまなす)が日本の鉄路からその姿を消していった。
 磯野家のマスオさんが夜行列車に乗った1967年の翌年に国鉄は、東北本線全線複線電化完成(1968(昭和43).8.22)を機に全国の列車運行を見直した俗に「ヨン・サン・トオ」と呼ばれた白紙ダイヤ改正を挙行(1968(昭和43)年10月1日)し、急行列車などの特急への格上げ・増発による特急列車網の全国的拡大化を通して自身の苦しい財政事情(皮肉にも東海道新幹線開業の1964年から赤字経営に転落)の中で本格的な体質改善に立ち向かったのである。蛇足ながら、ヨン・サン・トオといわれたこの白紙ダイヤ改正は、国鉄経営合理化(83線区・2600kmに及ぶ赤字ローカル線問題、EL・DL一人乗務問題、人員整理問題等)への始まりでもあった。
 このヨン・サン・トオ当時は、まだ寝台列車の需要は高く、全国各地に特急や急行の夜行列車が縦横に走り、発車間際の寝台車の狭い通路は乗客でごった返し夜行列車はいつも混んでいた、そんな時代だった。まさに今となっては、ことのほか夜行列車に深い愛着を寄せている中高年者層の世代にとっては、別世界のことのような話となってしまった。かつては、未知への仄かな期待に青春の胸をとどろかせて乗った夜行列車の旅は、今や昔語りとなって叶わない“未練”の彼方にある。“マスオさん”にとっても、寝台列車に揺られた今となっては貴重な旅を体験し得たことは、一生の懐かしい想い出として心の隅に残っているに違いない。関心の有り無しはさて置いても、誰しも一度は乗ってみたいと思う気持ちが揺らぐ夜行列車の旅、現在では浸りたくとも叶わない時代となってしまった。
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                     終焉を迎えたJR化後に誕生した唯一の夜行急行はまなす」 〉
 旧国鉄時代にあっても、JRになっても、消えていった鉄路の情景は数多ある。全てが懐かしい、全てに未練が残るという類いのものではないにしろ、新しいものを得るためには当然に古いものへの淘汰が生じる。それらの中でも、旧国鉄時代からJR時代へと長い歴史の中で引き継がれてきた夜行列車こそ、鉄道の情景を代表して余りあるアイテムの一つであったろう。その夜の旅を演出してきた夜行列車の情景がこの春(2016)に鉄路から消えて行き、“未練”の情景へと帰してしまった。 (終) 

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