汽車の時代と文学

☆☆☆ …『用事がなければ、何処へも行ってはいけないという訳はない。何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行ってこようと思う。しかし“用事がない”というその境涯は、片道しか味わえない。なぜと言うに、行く時は用事はないけれど、向こうへ着いたら着きっ放しと言うわけにはいかないので、必ず帰って来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。』… そんな汽車の旅を、小説家であり随筆家の内田百閒(1889(明治22)~1971(昭和46))は生涯楽しんだ。(内田百閒の「特別阿房列車」からの抜粋(文の表現を変えてあります)
画像                                                   内田百閒
 遍く文学には、“鉄道”が頻繁に登場する。単純に片づけてしまえば、人や物を運び移動させる手段としての輸送システムに過ぎないその鉄道が、文学において作品の主題として、はたまた作品の重要な舞台の一隅を占める存在として扱われるケースが数多見受けられのは何故なのかとも思う。多分それは、日本の鉄道草創当初(1872(明治5)年)から今日まで鉄道は人々の日常の生活と密接に関わるうちに人の心の中に深く浸透して密着し、人々が社会生活を営んでいく上で欠くことのできない存在として世の中に君臨してきたからではないだろうか。そのように弁えれば、人生の悲喜こもごもを文学の中に描写するにあたって、身近にある鉄道が格好の対象として頻繁に文学の中に織り込まれていったとしても、それは至極当然の成り行きだったに違いない。そして文学は、鉄道との深い関わり合いを今日までずっと持ち続けてきたのである。そうした過程の途上で、鉄道が人との関わりを経て醸成してきた内に秘める情動(情緒)を文学として描き挙げ、“鉄道文学”という分野を引き出したのは内田百閒の「阿房列車」シリーズ(阿房列車・第二阿房列車・第三阿房列車(旺文社文庫))ではなかったろうか。

☆☆☆ 阿房列車シリーズは、1950(昭和25)~1955(昭和30)年にかけ汽車好きだった内田百閒が相次いで執筆した紀行文(全15編)である。昭和10年代後半の戦時(太平洋戦争)下にあって国内の輸送は戦争の拡大につれ軍事化され、鉄道輸送も旅客列車大幅削減・貨物列車増発という非常手段が執られて不用不急の旅行等が制限された。さらに戦争末期の1944(昭和19)年には、国の決戦非常体制の下で全ての優等列車(特急や急行等)の運転が国鉄の線路から消えていった。
 そんな中で迎えた終戦後4年目の国鉄は、経営の前途に一抹の不安を抱えながらも戦時中に頓挫していた列車の運行を戦前の水準にまで回復していた。その1949(昭和24)年6月1日に国鉄は、運輸省から独立して公共企業体・日本国有鉄道として新発足した。これを機に国鉄は、戦後の初の優等列車として特急「へいわ」号(東京~大阪間)の運転を同9月15日から開始(翌年1月から「つばめ」号に改称)したのであった。
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平山三郎
 この優等列車復活の機を待っていたかのように、汽車好きを標榜してやまない内田百閒の“阿房列車”の旅が始まり、同行者の平山三郎氏(国鉄職員で同列車における百閒の随伴者)を伴っての大阪1泊翌日帰京の“特別阿房列車”(第1回執筆)が出発したのである。1950(昭和25)年10月22日(日曜日)のことであった。ちなみに紀行文で言うところの“阿房”について作者自身は、「阿房と云うのは、人の思惑に調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない」と記述している。

☆☆☆ 内田百閒の随筆にことのほか心酔し、「サラリーマン目白三平」シリーズで著名な自らも小説家の中村武志氏(1909(明治42)~1992(平成4)、元・国鉄職員(鉄道省本庁厚生局))による「百閒先生と汽車」から、内田百閒に関する記述を拝借して少しく記してみる。(注…中村武志氏と前出の平山三郎氏の二人は、終戦直後の1946(昭和21)年に国鉄本社が創刊した社内報「国鉄」の編集に携わりながら、阿房列車シリーズ(計15本運転)が終わるまで関わった)
 内田百閒は、本名を内田栄造、1889(明治22)年に酒造家の一人息子として岡山市内で生を受けた。中学上級生(1906(明治39)年頃)の頃、内田少年は生家の岡山市内から約8km離れた西大寺駅(現・JR赤穂線)まで時々自転車を走らせた。地響きを小さな駅の建物に反響させ、轟然と通過して行く汽車を見るためだった。改札口の柵に掴まって、列車が来る時刻を待つ。何列車が、何時何分頃に通過するということは、全て頭の中で諳んじていた。彼方から轟々という音が伝わり、それが次第に大きくなり、やがて改札口前の線路がカタンと鳴り出す。掴まっている改札の柵が振動し始め、それほど間をおかずに目の前を巨大な機関車に牽かれた列車が一瞬の内に通過して行く。やがて改札口を離れ、自転車に乗って帰途に着くが、改札口で見ていた列車通過の壮大な光景を反芻しながら、また来ようと思う内田少年だった。この西大寺駅通いは、高等部の学校に入っても続いた。汽車の時刻表に関しても、眺めるというより読み耽るという姿勢であった。升目に隙間なく詰まった時刻の数字を見ているだけで感興が尽きず、細かい数字に見入ったまま夜半を過ぎて慌てて寝たのも一再ではなかったというほどに、内田百閒にとって時刻表はただ汽車の時刻を調べるためのものではなく、むしろ時刻表は立派に“本”の範疇に入るのであった。また、汽車に乗るときには、列車の先頭(機関車)から最後尾の車両まで全体を見た上でないと気持ちが収まらないということを自らも記している。こうした次第から、内田百閒にして汽車は、“目の中に入れても痛くないほど可愛い”とは幼少児などに対してよく使われるフレーズだが、「目の中を汽車が通っても痛くない」というほど、人生の伴侶としての存在であった。この汽車好きは、82歳で生涯を終えるまで変わることはなかったといわれている。
画像 一日東京名誉駅長を拝命し特急「はと」の展望デッキに立つ内田百閒 東京駅 1952(昭和27).10.14
☆☆☆ 1952(昭和27)年の4月28日に日本は、対日講和・日米安全保障条約等の発効によって終戦(1945(昭和20).8.15)以来6年8カ月もの長期にわたった連合軍下の占領状態から解放された。これにより、長い占領政策から独立の第一歩を踏み出した国鉄は、国民生活にとって1日たりとも欠くことのできない鉄道という国の基幹産業としての重要な役割を果たしていくため、この年の10月14日に迎えた鉄道開通80周年を以て新たな躍進の段階へと進むこととなった。
 この80周年の記念に際して国鉄では、記念行事の一環として記念日翌日の15日に主要駅において名士の方々に一日名誉駅長に就いて頂くこととして、2カ月前から下準備に入っていた。先の「百閒先生と汽車」によれば、その話を聞いた中村武志氏は、東京駅の名誉駅長にはすでに「阿房列車」を5本も運転され、今後も続けられるであろう内田百閒をおいて他にはいないと考えた末、旅客課長に進言したという。勿論、その場で賛同が得られ、後日に正式の依頼が行われて内田百閒の承諾を得ていた。
 当日、内田百閒は従者の平山三郎を伴って、特別注文の制服・制帽に身を正して堂々と東京駅へ乗り込まれ、東京鉄道局長から東京駅の一日名誉駅長の辞令を受けられた。そして、一日名誉駅長として、12時30分発の第3特別急行列車「はと」の発車をホームから指示する任務(出発指示合図を出す)を授けられていた。 しかし、ホームで出発の合図を行った後で、発車して行く列車をただ見送っていられるほど内田百閒は中途半端な汽車好きではなかった。正午過ぎにホームに立った内田百閒は、特急「はと」の発車を前に発車の合図を行う大切な任務を放棄し、最後部展望車の展望デッキに乗車し熱海駅へ発ってしまったのだ。そこには、汽車に乗ること自体にこの上ない強い思い入れを持ち、しかも目前に停まる屈指の特急列車を前にしては鉄道好きを真骨頂とする内田百閒の内なる血が騒いだとしても、それは無理からぬことであったろう。合図を行った後では、動き始めた列車に飛び乗れる敏捷さを持ち合わせるほどの歳でもない、そんな汽車好きの63歳に取らせた行動ではなかったろうか。

☆☆☆ 汽車の時代を完全に過去の彼方へ追い遣るかの如くに、1964(昭和39)年10月1日に世界の高速鉄道の先駆として東京~新大阪に東海道新幹線が開業し、今年(2014)で50周年を迎える。また、新幹線に次ぐ高速鉄道として、すでに東海道新幹線開業の2年も前から技術開発に挑んできたリニアモーターカー、その技術を使ったリニア中央新幹線の建設工事の着工(東京~名古屋間)が今年10月に予定されている。まさに、日進月歩を積み上げて築かれてきた日本の鉄道技術は、21世紀の世界の頂点に立とうとしている。ただ、こうした近年の急速に進む交通機関の多様化や鉄道の近代化などの陰で、窓も開かないカラフルなスタイルで、しかも高速で走る近代化された列車の時代にあっては、汽車の時代から受け継がれ醸成されてきた文学に顕された鉄道の情緒性がいつの頃からか失せ始め、鉄道を織り込んだ文学の描写も精彩を欠いてしまっていると言えまいか。今や文学の中の鉄道は、その近代化ゆえに文学に織り込まれるというよりは無理矢理に割り込んだという感じを強く抱かせ、かつての鉄道描写の精彩と詩情の豊かさに比べその乏しさが浮き上がった風潮を示しており、鉄道描写を得意とした往年の文学としての域から乖離しているように思える。そのような中で現在は、松本清張の「点と線」に見られるような社会派推理の流れを汲んだ、西村京太郎を頂点に広がりを見せている“鉄道推理”ものが鉄道文学の王座を占めている。

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                             東海道を行く特急「はと」
 ここに、2014年8月29日の朝日新聞「天声人語」からその後半の部分を引用して掲げて見るが、天声人語の筆者も、内田百閒ではないが、東海道新幹線が開業(1964)してすぐに祖父に連れられて新大阪まで乗ったという。勿論、行き先に用事などあるはずもなく、単に世界初の高速鉄道という“夢の超特急”に乗ることが目的であったから、富士山を車窓に見て、アイスクリームを食べ、新大阪に着いたらすぐに帰ってきたという。“行き先はあるが、用事はない”… そんな汽車の旅を作家の内田百閒が愛したように。
『 ▽ あれから(注・1964(昭和39)年の東海道新幹線開業)から50年。JR東海はこの10月にもリニア中央新幹線に着工するとしている。古くなった東海道の肩代わりをさせる意味合いもあるらしい。品川から名古屋まで最速で約40分。その間の86%がトンネルだ。もう旅という言葉はそぐわない。列車は移動手段に徹することになる。▽ 北陸新幹線が来年3月14日に開業するという発表もあった。東京と金沢や富山の間がぐんと近づく。空の便との競合もさることながら、もともと京阪神に近い北陸が首都圏との結びつきを強めるかもしれない。▽ 関西圏が驚異を感じても不思議はない。リニアをどうせなら大阪まで同時に開業せよ、という声が高まっていると聞く。自民党なども後押ししている。名古屋までさえ巨額の事業費や環境への影響など懸念が残る。人口も減っていく。そんなに急ぐことが現実的なのかどうか。▽ より速く、より繁栄を。成長や発展という言葉は私たちを常にあおる。ときには百閒先生のように用事のない旅に出て頭を冷やすのもいい。』

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                            冬の汽車北海道塩狩峠
画像 メカニカルな部分を剥き出しにして豪快に走る、そんな機能本位の姿を臆面なくさらけ出す存在でありながら、汽車ほど文学の中に情感を深く刻み込んだ乗り物はないだろう。『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった 』(川端康成「雪国」)。この「雪国」の、情感豊かに美しさを秘めた鉄道描写の白眉ともいえる滑り出しほど、読者層に与えた詩情感の豊かさはあるまい。汽車の時代の文学は、鉄道描写においてまさにその真髄を示していた。
 ただ実際には、前後にループトンネルを配し、上越国境の峰々を貫いて建設された本邦随一(当時)の清水トンネル(9702㍍)においては、蒸気機関車による運転では煤煙等により乗務員の健康管理上好ましくない(窒息等の懸念)として、上越線の水上~石打間は開業当初から電化による電気機関車牽引の列車運転が行われていたのである。されど、鉄道の情景(真髄)を文学として描くには“汽車”でなければならなかった背景を小説「雪国」にも見ることができ、汽車が文学の中に投影されてきた歴史の一端がうかがえる。

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                     日本の鉄路を走る最後の汽車 北海道室蘭本線 1975.12.14
☆☆☆ やがてその汽車の時代にも、終幕が訪れる。1975(昭和50)年3月10日の山陽新幹線岡山~博多間の開業により、東京~博多間を結ぶ1174.9kmの幹線が新幹線で結ばれ、日本列島に輸送路の大動脈が誕生した。そして、その年も押し迫った12月14日、1959(昭和34)年から国鉄が推し進めてきた動力近代化計画(蒸気機関車を廃止し電車化・気動車化を図る)の完遂を締めくくる年として蒸気機関車が牽く最後の旅客列車が国鉄室蘭本線の室蘭~岩見沢間(140.8km)を走り、この日を限りに汽車が日本の鉄路から姿を消したのである。1872(明治5)年に日本の地に出現した“陸蒸気”こと汽車(蒸気機関車牽引の列車)は、日本の鉄道史上において1世紀余り(103年間)にわたり鉄道輸送の主力として社会の発展に寄与してきた。その一方で、文学の面においても、明治・大正・昭和へと人の営みの中で単に輸送機関に過ぎなかった鉄道にも詩情性や情緒的要素が加わり、それらを駆使した“鉄道描写”を巧みに採り入れた枚挙に暇がないほどの数々の文学作品が生み出されていった。
 今、汽車の時代が去って40年近く、鉄道の近代化・高速化の現代にあって、鉄道描写の白眉とまで称された「雪国」に迫る鉄道の情景を包含した文学作品が果たして現れてくるだろうか、一読者として心待の心境にある。 (終)

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