半世紀を走る ・ 東海道新幹線に因む

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画像 今年(2014)、世界の鉄道高速化幕開けのパイオニアとして東京~新大阪間に誕生した東海道新幹線(実キロ515.4km・営業キロ552.6km)は、東京オリンピックイヤーの1964(昭和39)年10月1日に開業してから50周年を迎える。東海道新幹線は、日本の経済・生活・文化の大動脈である東海道における輸送の大役を担い、この半世紀もの間に約50億人もの人々を運んできた高速鉄道である。
 日本の交通史上に一大エポックを画し、世界の高速鉄道の先駆けとなった東海道新幹線のルーツを辿れば…、1937(昭和12)年に勃発した日中戦争以降における大陸との往来が輻輳化するとともに、軍需輸送の増加から海上輸送や自動車輸送の行き詰まりで鉄道の輸送量が飛躍的に増加し、東海道・山陽両本線の輸送需要が顕著となって輸送力が限界に近づいていた。その戦時貨物輸送力を強化するため、1918(大正7)年以来凍結されていた広軌鉄道建設案が浮上し、1938(昭和13)年から当時の鉄道省内で検討が進められていた東京~大阪~下関間を200km/hの高速で結ぼうという計画(1939年に国の答申案として可決された「東京~下関間新幹線増設に関する件」)に基づいた広軌幹線鉄道建設計画に行き着く。 この計画の中で、“新幹線”という名称が初めて使われ、同計画は一般に「弾丸列車計画」とも言われていた。
 しかしながら、同計画は戦時下の国策として1941(昭和16)年に着工となったものの、まもなく同年12月8日の日本軍真珠湾奇襲作戦を機に開戦となった太平洋戦争の渦中で、中止に至ってしまった。建設途上で中止となった弾丸列車計画が、その姿を変えて戦後に東海道新幹線として具現化したのは、1957(昭和32)年5月に東京銀座のヤマハホールで開催された鉄道技術研究所(現・鉄道総研)創立50周年記念講演会の技術講演(篠原鉄道技術研究所長)において、東京~大阪間を最高速度250km/hで電車を走らせ同区間を3時間で結ぼうという、高速鉄道実現化への構想(可能性)の発表がきっかけだった。この講演が、当時の十河信二国鉄総裁をして日本初の高速鉄道(東海道新幹線)の夢の実現へ向け大きな後押しになったといわれている。

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 “夢の超特急”として羨望視された東海道新幹線実現化への背景には、昭和30年代に始まった日本の高度経済成長があった。また、計画が中止となった弾丸列車計画では、すでに延長約80kmに及ぶ建設用地が買収済みで、トンネルにおいても日本坂トンネルは1944(昭和19)年に完成し、新丹那トンネルは計画の中止で未完のままに据え置かれた状態にあった。これら弾丸列車計画の際に取得・既設された部分も、東海道新幹線実現化への一助として働いたに違いない。
 終戦(1945(昭和20).8.15)から11年を経た日本は、1956(昭和31)年7月17日に出された「経済白書」が“最早戦後ではない”と戦後の終焉を宣告した如くに、高度経済成長の下で大都市への人口流入が進み、都市部へと集中する人口増加の波は鉄道の輸送力に直接影響を与えていった。こうした中で国鉄は、戦後日本の目覚ましい復興と発展の途上で戦争により疲弊した多くの荒廃・老朽の設備・施設を抱え、増大する輸送需要の対処に追われていた。
 そこで取り組んだのが、輸送の安全を確保し輸送力を強化するための動力近代化計画(電化・ディーゼル化)の推進であった。 そうした状況の中で、年々輸送量が増え続けていた日本の大動脈である東海道本線(東京~神戸間589.5km)が、全通(1889(明治22).7.1)以来57年目にしてようやく1956(昭和31)年11月19日に全線電化の“夢”を実現させたのである。その後も、増大し続ける東海道本線の輸送力は輸送需要に追いつけず、飽和状態を迎えていた。
 その輸送力の行き詰まりを解消しようと、東海道本線改革の検討が1956年5月に国鉄本社内に設置された東海道線増強調査会(会長・島秀雄技師長)で始まった。その最中に、前述の東京~大阪間を3時間で結ぶ高速鉄道構想が国鉄技術陣の威信をかけて発表されたのである。この構想に対する反響が大きかったことから、当時の十河国鉄総裁は別線による広軌新幹線(狭軌に対し標準軌を“広軌”と呼んだ)建設の推進を意中に固めたとされている。
画像      東海道新幹線の起工式で鍬入れを行う十河国鉄総裁 新丹那トンネ
         ル熱海口 1959.4.20

 その後の1957(昭和32)年8月に、十河国鉄総裁の要請により日本国有鉄道幹線調査会が政府により設けられ、東海道本線に対する別線建設案の議論が推し進められていった。ただ、当時、すでに急速に進展を示していたモータリゼーションによる交通体系の変革に伴い鉄道斜陽論が広く論じられていた下で、新線の高速鉄道建設への巨額な投資は戦艦大和・万里の長城と並んで“世界の三馬鹿”とまで嘲られ、建設の賛否両論が渦巻いた。そうした最中で、十河国鉄総裁の強い決意により、1958(昭和33)年3月に国から広軌別線案妥当の結論が出されるに至った。そして、その後の交流電化技術の進展をはじめ、ビジネス電車特急(〈こだま〉号・東京~大阪間)の運転など都市間特急列車輸送網形成による動力近代化が進む環境の中で、輸送力が限界に近づきつつあった東海道本線の輸送力を補完する別線として建設される、東海道新幹線の起工式が1959(昭和34)年4月20日に新丹那トンネルの熱海口で挙行されたのであった。

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 第18回オリンピック東京大会の開催(1964(昭和39).10.10)を開業の目標に、1959(昭和34)年4月20日に東海道新幹線の建設工事が着手され、1918(大正7)年来の国鉄長年の願望だった広軌高速鉄道の建設が現実となった。
 建設工事に着手した東海道新幹線は、初めての高速鉄道建設のため試作車両や諸施設・設備の実地試験を行うモデル線建設が先行して計画された。すでに、弾丸列車計画で取得されていた用地の綾瀬~鴨宮間(32km)にモデル線管理区が設置(1962.4)されて「モデル線鴨宮基地」が置かれ、1962(昭和37)年6月から高速運転への試験運転が開始された。ちなみに、当該モデル線で1963(昭和38)年3月30日に電車による当時の世界最速として256km/hが記録されている。 …関連公開ブログ・「46年前の思い出・新幹線鴨宮基地」2009.4.22…
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                    [ 綾瀬~鴨宮間のモデル線で高速試験走行中の試験車両 1962.12
 後に、世界の新幹線としてその名を馳せることになる東海道新幹線は、戦前の弾丸列車計画の既設部分を活用し、総工費3800億円を投じて210名の尊い犠牲と引き換えに5年半という短い工期で完成を見たのであった。1964(昭和39)年10月1日午前6時、華やかな出発式の中を東京・新大阪の両駅から夢の超特急〈ひかり〉号がそれぞれの終着へ向け同時に出発し、世界に先駆けた初の高速鉄道・東海道新幹線が誕生したのである。これを機に、現在に至る世界の高速鉄道網建設の礎ともなった、鉄道の高速化輸送に向けた新時代が幕を開けたのであった。
 余談になるが、建設総工費3800億円をかけた東海道新幹線の建設は、建設工事費を世界銀行からの借款(8千万㌦:228億円)で賄いながら、当初の工事費予算1972億円でスタートした。しかし、建設の途上で、設計変更や工事費高騰、経済変動などの影響で当初の工事費予算額に不足を生じ、その後も完成まで2回にもわたって予算不足に陥り、国へ予算の追加要請を仰いだ。もともと、周りからは2000億円程度で新幹線が建設できるとは思われていなかった中での、工事費の予算不足だった。東京オリンピックの開催を目標にした東海道新幹線の開業まで1年半と迫った、十河国鉄総裁の任期満了(1963.5.19)を前にした1963(昭和38)年春に、東海道新幹線の建設工事費に対する予算不足が表面化したのであった。国会で、十河国鉄総裁に対する責任追求が行われ、間もなく米寿を迎える総裁をせめて新幹線開業の日までその椅子に留めてはとする人情論もあったが、敢えて当時の政府は1963年3月に“再任せず”との断を下したのである。
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              新大阪駅へ向け東京駅を出発する世紀の超特急〈ひかり〉号 東京駅出発式 1964.10.1
 “夢の超特急”開業のテープを切るまではと、2期8年近くを国鉄総裁として務め、後に「東海道新幹線の生みの親」と語り継がれた十河信二氏であったが、建設に力を尽くしたその新幹線が命取りになろうとは何とも皮肉であった。
 晴の東海道新幹線開業時に、初列車〈ひかり1号〉の出発式で開業のテープに鋏を入れたのは、十河氏の後を継いだ第5代石田禮助国鉄総裁であった。 …関連公開ブログ・「生みの親・東海道新幹線」2008.2.3…
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                        [ 高速走行中の東海道新幹線0系車両の運転台
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 東海道新幹線は、旅客輸送専用の高速鉄道だが、貨物輸送もその建設計画の時点から構想されていた。夜行運行を主眼とする「貨物新幹線」計画で、イメージも出来上がっていた。しかし、貨物取扱駅の用地買収等の工事に着手したが、東海道新幹線の建設費がインフレなどに伴う諸般の影響から当初計画の2倍近くに膨れ上がっていたため、貨物輸送計画は断念さてしまった。
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                    東海道新幹線建設時に計画された「貨物新幹線」のイメージ図
 この例からも分かるように、1950年代後半の高度経済成長で好景気時代を迎えながらも国鉄は、進出が目覚ましい自動車に対抗する輸送方式の確立や、需要予測を上回って伸びる旅客や貨物に対する輸送力不足解消等への輸送対策(動力近代化、主要幹線網の整備、大都市通勤対策、幹線輸送力増強、およびそれらに対する大規模投資等々)に追われた。しかも、日本経済の伸展は予想を遥かに上回り、輸送力不足解消への輸送力増強対策で国鉄は資金不足に見舞われ、国鉄財政は年々悪化していった。そんな中で、着工した東海道新幹線の建設は、当初から国鉄財政難の渦中で進められていたのである。
 その国鉄は、皮肉にも、東海道新幹線が華々しく開業を迎えた1964(昭和39)年の年度決算で初めて単年度赤字を計上し、次の1965(昭和40)年度も続いた赤字は繰り越し利益で糊塗はしたものの、1966(昭和41)年春に実施した運賃値上げの効も虚しくこの年から完全な赤字に陥り、以後国鉄は黒字へ一度も転換されることなく赤字体質を引きずって行くこととなった。1964(昭和39)年に赤字に転落した国鉄は、以来4回にわたる再建計画の実施にもかかわらず、一層厳しい危機的状況(度重なる運賃値上げ、労使・労組間紛争、順法闘争等)に至った。こうした情勢下にある国鉄の事業を健全化するため、臨時行政調査会設置法に基づき臨時行政調査会(第二次)が1981(昭和56)年3月16日に発足し、国鉄の“後のない計画”ともいわれた経営改善計画を同年5月2日にスタートさせ、破綻に瀕している国鉄を日本の厳しい交通市場の中で競争に耐え得る事業体へ変革する方途を目指した。この国鉄事業の再生へ向けた計画が、国鉄改革による1987(昭和62)年4月1日の「分割・民営化」へ向けての布石となっていったのである。
 このように東海道新幹線の開業は、航空機や自動車交通の台頭で世界的に斜陽化を囲いつつあった鉄道に21世紀へ向け復権への途を拓いたが、その一方で、国鉄財政圧迫の一端を強いたとされる新幹線建設が、日本国有鉄道を衰退へ歩ませる端緒にもなったのは否めない事実であろう。

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 現在、東海道新幹線は、1時間に最大15本の運行で東京~新大阪間を最速2時間25分で結び、1日約41万人・年間約1億5千万人を運ぶ、到底他の輸送機関では代替えできない重要なインフラとなっている。JR東海は、その東海道新幹線の最高速度を来年(2015(平成27))の春から現行の270km/hを15km/hアップして285km/hに引き上げることを明らかにした。2012(平成24)年2月から翌年の10月にかけ最高速度285km/hへの向上運転を想定した走行試験を実施し、車両や設備の安全性、沿線環境(騒音・振動)、乗り心地等に対し良好なデータが得られたことから東京~新大阪間の約半分に相当する区間で15km/hアップの運転を行い、現行最速の2時間25分を約2、3分短縮する計画という。さらなる高速化への挑戦とともにJR東海は、今年開業50周年を迎える東海道新幹線の経年劣化と予測される大規模災害への抜本的な備えとして、超電導リニアの技術を導入した「中央新幹線」(東京~大阪間のうち東京~名古屋間を先行開業)の建設を進めており、現在は今年(2014(平成26))10月の建設工事着工予定を前にして東京~名古屋間沿線の環境アセスメントを実施中である。
 …関連公開ブログ・「リニア中央新幹線に寄せる」2014.4.7…
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                        日本の大動脈を疾走する東海道新幹線N700A
 “SHINKANSEN ”(「シンカンセン」)は、今では高速鉄道の代名詞として世界的に使われており、日本の新幹線技術は世界のお墨付きである。その東海道新幹線は、日本の経済と国民生活を担う大動脈として、世界に類を見ない大量輸送を実施している。一方、従来型の鉄道に目を転じれば、鉄道は環境に最も優しい交通機関とされていながら、航空機や自動車との激しい競争にさらされて衰退傾向にあり、世界の各国において厳しい状況にあるのが現状だ。そのような中で今、高速鉄道だけは意気軒昂で、アメリカやロシア、アジアなど世界の国々で次々に建設計画が持ち上がっており、高速鉄道先進国(日本、フランス、ドイツ)の間では高速鉄道技術の受注(輸出)を巡って凌ぎを削る競争が展開されている。そのような高速鉄道に対する世界的な状況下で、開業から今日に至る50年間で列車事故による“死傷者ゼロ”という絶対的な安全輸送を実現し、世界に類を見ない大量輸送を行っている東海道新幹線に代表される日本の新幹線技術を積極的に海外へ輸出しようと、新幹線を運行する東日本、東海、西日本、九州のJR4社によって2014(平成26)年4月10日に「国際高速鉄道協会」(IHRA:アイラ・理事長宿利正史氏)が設立された。現在は、日立製作所や川崎重工業をはじめ25の社・団体の参画の下に、世界の11カ国で進む高速鉄道建設計画に日本の新幹線や超電導リニアの技術を輸出しようという働きかけが行われている。
 今まさに、世界へ広く羽ばたこうとしている日本の新幹線技術。半世紀を走る東海道新幹線がもたらした最大の功績は…と問われれば、それは高速鉄道による鉄道復権への途を世界に拓いたことである、と私は躊躇なく応えるであろう。勿論、新幹線の果たしてきた業績の云々は、グローバル的見地の観点から論じられるべきであろうが…。
 今、日本の新幹線技術は、次の半世紀を目指し走り出そうとしている。 (終)


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