ついに消えたタブレット閉塞式に寄せる

-- かつては私も、某私鉄に勤めていた運転士時代に、自動閉塞式に移行するまでの6年間をタブレット閉塞式とともに過ごした経験を持つ。今年の春もようやく佳境に入ろうとしていたある日、JR久留里線のタブレット閉塞式が終焉を迎えたとの報に接して時代の趨勢には逆らえない虚しさを感じ、遠い運転士当時のタブレット受け渡しの情景が甦り、旧懐の念に浸ってしまった。そして、残暑が残るこの初秋にも、久留里線での廃止後にJRの路線で唯一残っていた只見線のタブレット閉塞式が廃止となったことを耳にして、一抹の寂しさが胸の内を掠めた。その積み重なった心情から懐かしさのあまり、タブレット閉塞式に寄せて少しくしたためたくなり、以下に拙文ながら示した次第である。 --

JR久留里線(木更津~上総亀山間32.2km)から列車運転の安全を確保する運転保安システム・タブレット閉塞式が2012年3月16日に廃止されて間もなくの同年9月22日に、全国のJR路線で唯一残っていた只見線(会津若松~小出間135.2km)の会津坂下~会津川口間(39.2km)のタブレット閉塞式が、画像   〈 JR只見線 〉
老朽化により、特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)への移行に伴って廃止された。これにより、全てのJR路線からタブレット閉塞式が事実上消えたこととなった。と言うのも、現在、タブレット閉塞式が残っている只見線の会津川口~只見間(27.6km)が、2011年7月30日に新潟・福島県地方を襲った豪雨災害で会津川口~会津大塩間の只見川第5~7橋梁流失および会津坂下~会津柳津間の路盤流失により不通(2012.11現)となっており、同区間に残っているタブレット閉塞式も復旧の際には同様の理由から特殊自動閉塞式に移行することが確実視されているからである。かくしてついに、JR只見線で弧塁を守り使命を果たしてきたタブレット閉塞式ではあったが、老朽化等諸般の事情による特殊自動閉塞式化への移行に伴い、JR路線から完全消滅の途を辿ることとなった。
画像           〈 通票を受け取る通過列車 〉
1世紀を超え、110年余りにわたって用いられ、日本の鉄路の安全を守ってきたタブレット閉塞式も、近代化された保安システムの下で一部の私鉄等を除きJR只見線を最後の働き場所にその使命を終え、2012年9月を以てJRの鉄路からその姿を消していったのは前述の如くである。
 列車運転の保安方式としては近代設備に及ぶべくもないが、これまでに果たしてきたタブレット閉塞式の安全性は高く評価されている。かつては、日本全国の隅々にまで普及して使用されてきたタブレット閉塞式ではあったが、タブレット(通票)の授受(駅長~運転士間の受け渡し)が伴うこと、信号機との間に連鎖が無い(連動していない)こと、単線区間の使用に限られることなどの制約が欠点とされて、鉄道の発展(列車の高速化、運転頻度の高度化、複線化の進捗等)に追従敵わず使用領域は次第に狭められていった。
 ちなみに、タブレット閉塞式の最大の欠点であるタブレットの授受をなくし、設備費の低廉化を図るなどのために、タブレット閉塞式に代わって連査閉塞式(閉塞区間の境界である停車場に出発信号機を設け、駅間で一対の連査閉塞機を操作して閉塞の取扱いを行い、閉塞の条件を出発信号機に現示して列車運転を行う)が開発され、使用された経緯もあった。

そもそもタブレット(通票)閉塞式は、鉄道発祥の地イギリスで1878(明11)年に創案され、列車運転に対する安全保証を確実にした点では他の諸方式に比べ画期的なものであった。そのため、イギリスのみに限らず世界の鉄道に広く普及し、21世紀の現在も使われているのである。

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                              〈 タブレット閉塞機 〉
 日本では、高い安全性が望め、列車運転の保安方式としては絶対的な確実性が期待できるとして、1902(明35)年9月に単線区間が残る東海道線(横須賀線)に初めて採用された。その後、全国各地の主要私鉄を買収して鉄道の国有化(1906(明39)年3月31日鉄道国有法公布により日本国有鉄道が生まれる)が実施されたことから列車運転の直通化が行われるに及び、それまで鉄道会社ごとに採られてきた種々の保安方式では安全性・信頼性・確実性などに問題が生じるとの理由から、単線区間では通票閉塞式、複線区間では自動閉塞式が保安方式の標準として定められた。
 こうしてタブレット閉塞式は、単線運転路線における列車運転の標準閉塞式として広く用いられるに至った。その後も、より省力的かつ安全性に優れた連査閉塞式や特殊自動閉塞式が生まれてきた過程にあって、タブレット閉塞式の存在は稀少になりながら現在も鉄路の安全を守って使用されている。

列車運転(単線区間)の安全を確保する上で、絶対的に確実なシステムとして重用されてきたタブレット閉塞式ではあった。が、タブレット閉塞式は常に人手の介在を必要とするため、人による取扱ミスが事故発生につながる公算が大で、ひとたび取り扱い誤りや不具合が生じると人災による事故発生に至る可能性を否定できない。このような条件下で過去には、人為的ミスが引き金になって惨事に至ったケースは少なくない。
 ここで、タブレット閉塞式が明治以来此の方1世紀を超えて列車運転に対する安全の確保に信頼できるシステムとして認められてきたその裏側で、はからずも起きてしまった事故の1例を安全に対するタブレット閉塞式の威信に賭け、諸資料を基に敢えて追ってみる。

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                     〈 東北線下田~古間木間列車正面衝突事故現場・1916.11.29 〉
 時代は旧いが、1916(大5)年11月29日の23時40分頃に東北線(単線・通票閉塞式、現・第三セクター青い森鉄道)下田~古間木(現・三沢)間(下田駅から7.7㎞・古間木駅から2.2㎞の地点)で下り臨時旅客列車(第331列車・8649号蒸気機関車+2軸客車17両+緩急車1両)と上り貨物列車(第308列車・3217号蒸気機関車+貨車20両)が正面衝突し、20人が死亡(他に病院収容後9人死亡)・180人が重軽傷を負うという死傷者数において戦前の5指に数えられる大惨事が発生した。原因は、古間木駅において下り列車に対する閉塞に承認を与えたにもかかわらず、不正手段によりタブレット閉塞機を取り扱って上り列車を運転せしめてしまったことである。まさに、人災による事故であった。
 事故発生当日の古間木駅の勤務体制は、助役1人と電信掛および駅夫各1人の3人であった。当日は、夜半近くに下り臨時列車が運転されることを、助役は電信掛と駅夫には知らせていなかった。
 その夜、古間木駅前の旅館から駅にお呼びがかかり、助役一人が出掛けて振舞い酒を見舞われていた。古間木駅では、通常21時から23時過ぎまでの間は列車の発着がなく、助役は途中で電信掛を呼び寄せ、酒宴となった。
 23時を過ぎ、上り貨物列車の通過時刻が近づいていたことから駅に独り残っていた駅夫は、二人を呼び戻しに駅を出ていった。ところが、駅夫とすれ違いに電信掛が駅事務室に戻ると、下田駅から下り臨時旅客列車の運転に対する閉塞の連絡が入った。ダイヤ上では23時台に下り列車の運転はなく、もともと下り臨時列車の運転を知らされていないとはいえ電信掛は、酔いも手伝ってか何の疑問も挟むことなく無意識に閉塞に承認を与え、そのまま宿直室で寝てしまった。
 その後、泥酔して駅夫に付き添われて駅事務室に戻った助役は、そのまま椅子を並べた速成のベッドで毛布を被り寝てしまった。その頃、古間木駅(電信掛)からの閉塞承認を受けていた下り第331臨時旅客列車は、下田駅で通票を受け取り14分延で古間木駅に向け同駅を通過していった。その時刻は、23時27分であった。この臨時旅客列車は、古間木駅で23時41分に通常は通過の上り貨物列車と交換することになっていた。
 臨時旅客列車の運転を知らされていない、ましてや同列車の閉塞承認が行われたことなど知る由もない独り起きていた駅夫は、上り貨物列車に渡す通票が見当たらないので仮眠中の助役を起こした。

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     〈 正面衝突した蒸気機関車(左・下り第331臨時旅客列車の8649号機関車、右・上り第308貨物列車の3217号機関車) 1916.11.29 〉
 しかし、泥酔で下り臨時旅客列車の運転を忘れ、さらに、電信掛により下田~古間木間の下り臨時旅客列車に対し閉塞が行われていたことなど知らない助役は、「下田駅」側の閉塞機の上部スライダー(引手)が半開となっているのを見て上り貨物列車に対する通票が取り出せないのは閉塞機の故障と判断(このときの半開は、実際には古間木~下田間で閉塞が行われて下り列車が運転されることを示していた。閉塞により通票を取り出せるのは上部スライダーが閉じている状態、すなわち両駅間に列車が無いときである)し、針金を使い駅夫と二人して閉塞機を操作(不正)して通票を取り出し、上り第308貨物列車を下田駅へ向け通過させてしまった。
 「下田駅」側の閉塞機から上り貨物列車に対する通票を取り出せなかったのは、電信掛が下り臨時旅客列車の閉塞に承認を与えた後であるため当然のこと(1閉塞区間(1停車場間)には1個列車しか進入できない)であり、故障などではなかった。駅職員たちの服務規律の乱れが、冷静・沈着でなければならない判断を狂わせ、事態を悪い方向へ導いてしまった。ここに、単線区間の古間木駅~下田駅間で双方の駅から相手駅に向かって同時に列車が進行するという、あってはならない結果を招いてしまったのである。
 蛇足になるが、この大事故を招いた古間木駅の助役は業務上過失汽車転覆破壊、同過失殺傷、官文書毀棄の罪で、同駅夫は業務上過失汽車転覆破壊、同過失殺傷の罪で起訴された。なお、古間木駅の電信掛は、下田駅からの閉塞受託の旨を同駅助役に連絡しなかったことと衝突事故の発生とは直接の関係はないとして、免訴となった。1917(大6)年5月15日の青森地方裁判所の判決で、古間木駅助役に懲役5年、同駅夫に禁固2年の判決が下された。ちなみに鉄道事故に関するこの量刑は、現在に至るも日本の鉄道140年の歴史の中で最も重いものである。

前述の東北線下田~古間木間の大事故発生に至った裏には、一つの伏線があった。タブレット閉塞式が採用されて間もない頃は、閉塞機から通票がスムーズに出ない(取り出せない)不具合が時折り発生していた。そのため、不正手段による通票の取り出しが半ば“やむを得ない”こととして黙認されていた慣習があったとされている。
画像 そうした状況の下で、1909(明42)年1月に横須賀線(通票閉塞式)の大船~鎌倉間で、通票の不正取り出しにより上下の旅客列車同士が鎌倉駅付近で正面衝突し、機関車2両・客車2両が脱線、21人が負傷する事故が起きた。
 事故現場が駅付近で、双方ともに速度が低く、被害が大事に至らなかったのが不幸中の幸いとされた。しかし、事故原因となった通票の不正取り出しに関し当該事故では、“やむを得ない”とされてきた背景は省みられなかったようだ。然して、当該事故の教訓は生かされずに、当該事故から7年後に前述の東北線の大事故が発生し、不正扱いによる通票の取り出しが繰り返されてしまった。
 そうした芳しからざる環境の延長線上で起きてしまった東北線の大事故であったが、そこには通票を不正に取り出すに至った安易で短絡的な判断があった。そうした不正な取り扱いが今後誘発されないようにと、同大事故を契機に閉塞機の改善が徹底的に実施され、不具合発生の絶滅を期して誤判断誘発の封じ込めが図られた。
 一方で、同大事故では、駅職員の服務規律の乱れが直接原因の一つであったのも特質であった。創業時から昭和の20年代にかけ、鉄道は日常の中で主要な公共交通機関であったため、鉄道の駅は地域の核として日常生活に密着していた。それ故、駅の長たる駅長(助役)の地域における存在感は大きく、学校行事など地域の諸行事への参列要請も多く、地域に在っては“名士”の一人とされていた。当然に、駅長の下で働く駅職員も一目置かれるような存在だった。そうした環境の中で、ときには古間木駅助役のように招かれて、飲食が振る舞われることも一再ではなかったのかも知れない。このような地域性に根差した慣わしの風潮は、昭和30年代頃まで地方には残っていたようである。
 しかし、人(乗客)の生命と財産を預かり守る鉄道員としての職責を弁え、自らを律しなければならない身を以てすれば、東北線大事故の原因の一つでもあった服務規律の乱れにはつながらずに済んでいたであろう。そのような時代の背景の中で起きてしまった東北線の大事故ではあったが、“タブレット閉塞式”にとってはとんだ災難であったに違いない…と私は思うのである。 (終)~参考文献・「事故の鉄道史」(日本経済評論社)、「鉄道重大事故の歴史」(グランプリ出版)~

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