記憶の彼方に残る貨物列車・・自動車輸送

の戦争による敗戦で、疲弊しきっていた日本の経済(国民生活)が一段落したのは、朝鮮戦争の特需にも預かった終戦から10年が経とうとしていた、昭和20年代末の頃であった。そして、昭和30年代は、“神武景気”といわれた経済の活況に伴って始まりつつあった高度経済成長の下で幕を開け、“もはや戦後ではない”と宣言した経済白書(1956(昭和31)年)とともに始まった。その後、日本の景気は上昇を続け、昭和40年代に入ると約5年もの長期間に及ぶ“いざなぎ景気”が訪れ、この間の経済成長は年平均11.6%という驚異的な高度成長率を示し、日本は「経済大国」としての地歩を確立していった。
 しかし、こうした高度経済成長は一方で、生活の豊かさを反映させてモータリゼーションの進展を促し、日本の物流輸送構造に変化をもたらしたことで、国鉄の鉄道貨物輸送に変革を与えた。すなわち、幹線道路網や高速道路網の整備、流通基地の整備・拡充等に伴うトラック輸送への移行である。これは、鉄道のこれまでの輸送シェアを圧迫し、人件費等の高騰もあって国鉄は1964(昭和39)年以降赤字体質に転落した。しかも、苦しい財政事情を乗り切るため国鉄が打ち出した合理化対策に係わる施策が、社会労働情勢の急激な展開と重なって労使間に軋轢を拡大させ、度重なる運賃・料金の値上げとともに、順法闘争やストライキが繰り返されたことから安定輸送に応じきれずに鉄道貨物輸送はそのシェアを大きく凋落させていった。
 こうした状況の下で国鉄も、鉄道貨物輸送の立て直しを図るべく近代化輸送に努力を傾けてきた。その一つが、物資別輸送適合貨車を使用した直行系貨物列車の運行であった。

画像

代化貨物輸送の一環として、国鉄が高度化する日本の経済構造に適応すべく貨物輸送の体質改善を図ったのが、成長産業物の輸送を獲得するために計画された物資別適合輸送の推進だった。その代表格が、一定量の貨物をまとめて拠点間をストレートに輸送(直行輸送)する、専用貨車を使用した新製乗用自動車を輸送する専用貨物列車であった。
 上下2段積み自動車積載専用の「ク5000形貨車」を開発・新製し、1966(昭和41)年10月から鉄道による自動車輸送を開始した。籠原(高崎線)、東小金井(中央線)、厚木(相模線)、横須賀(横須賀線)、笠寺(名古屋臨海鉄道)、百済(関西線)、川崎河岸(川崎貨物)、大宮・操(東北線)および川西池田(福知山線)の9駅にトラバーサー(自走式積卸装置)を備えた自動車輸送基地が整備され、富士重工、プリンス、いすゞ、日産、三菱、トヨタ、ダイハツの自動車メーカー7社で生産された新製乗用車が笠寺~川崎河岸間、東小金井~笠寺相互間、籠原~笠寺間、籠原~百済間など関東圏と中京・関西圏相互間で直通輸送された。
 当時は、乗用車の生産増にもかかわらず、その搬送手段・手法は各メーカーともに万全の体制を確保できる状態ではなく、各地のメーカーで生産された新車の1台1台は専任の搬送ドライバーによる自走手段で全国の販売店まで運送(陸走)されるという状況であった。この人手と時間的ロスを伴う非能率的な搬送手段を払拭し、増え続ける新車生産に対応すべく計画されたのが自動車積載専用の貨車を使った鉄道による自動車輸送であった。

画像

 自動車輸送専用のク5000形貨車には、貨車1両当たり小型車10台・中型車8台の積載が可能で、しかも陸送(自走搬送等)に比べ定量計画出荷の確保、発着時間(輸送時間)の明確化、速達化、輸送途中における事故率の低減化など鉄道輸送による有利性を得ることができ、各自動車メーカーの鉄道利用度は日毎に高まっていった。鉄道輸送開始当初においては、ク5000形貨車22両編成による満載の輸送が行われ、初年度の1966年には半年間でおよそ2万7000台の新車が運ばれている。

画像

画像

 ちなみに当時、開発・誕生した物資別輸送適合貨車には、鉄鋼コイル輸送用ワキ9000形(2両の試作で終る)や配合飼料・小麦・トウモロコシ等のバラ積み粉粒体輸送用ホキ2200形(1160両製作)、鮮魚輸送用高速冷蔵貨車レサ10000形(137両製作)等があった。

和40年代の高度経済成長の波に乗り、自動車販売台数の急増という追い風もあって、大量輸送が可能な鉄道(国鉄)による自動車輸送は大きく進展した。その増え続ける自動車輸送に対応し、専用輸送貨車も毎年の如くに増備が図られ、当初22両で始められた輸送も1年後の1967(昭和42)年度には360両のク5000形貨車が増備(総両数382両)され、初年度の10倍近い約25万4000台を輸送している。
 その後も、ク5000形貨車の増備は1973(昭和48)年まで続けられ、総両数932両が製造された。これらの専用貨車によって、ピーク時の1972(昭和47)年度には国内生産乗用車の3分の1に相当する80万5000台を輸送した。また、当初わずか9駅で始まった自動車輸送基地の整備も、全国規模への展開を示して最終的には30駅近くに達していた。そして、このク5000形専用貨車による自動車輸送は当時、国鉄貨物輸送の物資別適合輸送の中にあっては花形の分野であった。
 しかしながら、高度経済成長が続く中で、高速道路をはじめ幹線道路網の整備が進み、安泰と思われていた鉄道輸送をよそに、ドア・ツゥ・ドアの特性を活かしたトラック輸送が全国的に伸展を続けていたのである。

道による自動車輸送がピークを迎えた翌年(1973)の秋(10月)、高度成長下の日本経済は突飛にオイルショックという超ド級の経済混乱(第4次中東戦争の勃発で産油6ヵ国が示した原油生産量の削減と公示価格の大幅引き上げが世界へ与えた経済的影響)に見舞われ、産業構造に大きな影響と変化をもたらした。この経済的影響の大きかったオイルショックにより、社会のあらゆるところで合理化や省エネが叫ばれ、日本の産業部門では強力に合理化が推し進められた。勿論、自動車産業界とて例外ではなく、合理化の下で新製車運搬分野でも改善が図られ、供給・需要に対して容易に自在に対応できる、自動車搬送用の大型トラックやトレーラー等の普及が進んだ。
 こうした輸送事情の変化もあって、自動車輸送の主流は少量多頻度でフレキシブルな搬送が可能なトラック輸送へと移行してゆき、しかも低廉大量輸送の船舶輸送(内航海運)へもシェアが移る状況となって、前述の国鉄の不安定事情も加担して、鉄道による自動車輸送はオイルショック以降減少の一途をたどることとなった。同時に、輸送の減少で余剰となったク5000形貨車は、この先の輸送実情の反映を受けて漸次廃車されていった。

画像

 こうした状況の下で鉄道による自動車輸送は、1975(昭和50)年10月に北野桝塚(愛知環状鉄道)~河西池田間の1往復が廃止されたのを皮切りに、1977(昭和52)年度には日産の大部分とダイハツが船舶輸送へ切り替えられた。その後も、毎年の如くに鉄道輸送からの撤退が相次ぎ、唯一残っていたトヨタも1984(昭和59)年12月末を以て撤退したため、国鉄の専用貨物列車による自動車輸送は稼働20年を経ずして1985(昭和60)年3月で全廃となった。ただ、全廃となった年の秋に臨時輸送ながら日産が、宇都宮貨物(タ)~根岸間で鉄道を使った自動車輸送を復活させている。
 そして1987(昭和62)年4月、国鉄の分割・民営化によって誕生した新会社・JR貨物(日本貨物鉄道株式会社)は、全国一元の鉄道貨物会社として国鉄の貨物輸送業務を承継し、ク5000形貨車も64両が引き継がれた。
 少量輸送ながら、国鉄時代の末期に復活した鉄道の自動車輸送はJR化後も続けられ、宇都宮貨物(タ)~金沢(北陸線)・南福井(北陸線)・八戸(東北本線)・秋田港(秋田臨海鉄道)・苫小牧(室蘭本線)間等、輸送先の延伸や増送等を交えてク5000形貨車を使った自動車輸送が継続されている。ただ、全廃後の復活輸送では、往時の輸送量とはほど遠い少量であったため自動車輸送専用貨物列車としてではなく、自動車を積載したク5000形貨車を他の専用貨物列車やコンテナ列車に併結した輸送であった。
 ちなみにJR貨物に引き継がれたク5000形貨車は、従来の鉄道貨物輸送のイメージチェンジを図るために実施された機関車や貨車の塗色変更の際に、誕生以来の朱一色からカラフルなストライプを配した車体カラーに変わった。

画像

の後も、細々ではあったが続けられていたク5000形貨車を使った自動車輸送。しかし、それらも変動する社会情勢の下で輸送量の減少は続き、新製乗用車の搬送が専用トレーラーや船舶等に取って替わられ、鉄道による自動車輸送は風前の灯であった。と同時に、登場以来30年の経年から老朽化が進んでいたク5000形貨車は、自動車輸送量の減少に同調して早いテンポで淘汰(廃車)が進行していった。
 そして、宇都宮貨物(タ)~本牧(神奈川臨海鉄道)間だけに最後まで残っていた自動車輸送も1996(平成8)年4月を以て廃止され、30年にわたったク5000形貨車による鉄道の乗用自動車輸送は終焉を迎えた。そして、総計932両が製造されたク5000形貨車は、最後まで在籍していた5両も廃車となり、形式消滅となって鉄路上からその姿を消した。
 日本の鉄道貨物輸送の一郭を支え、自動車産業界の隆盛に尽したかつての自動車輸送専用貨物列車の雄姿は、今はなきク5000形物資別輸送適合貨車とともに、人々の記憶の彼方に在り続けていくことであろう。 (終)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 9

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた
面白い
かわいい

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック