テーマ:鉄道エッセイ

汽車の時代と文学

☆☆☆ …『用事がなければ、何処へも行ってはいけないという訳はない。何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行ってこようと思う。しかし“用事がない”というその境涯は、片道しか味わえない。なぜと言うに、行く時は用事はないけれど、向こうへ着いたら着きっ放しと言うわけにはいかないので、必ず帰って来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行…
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瀬戸大橋開通25周年に寄せて

四 国4県民400万人の夢を実現させた、瀬戸内海の備讃瀬戸を跨いで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ瀬戸大橋が、1988(昭和63)年4月10日に開通してから今年で25周年を迎えた。また、瀬戸大橋の開通と時を同じくして営業を開始した本州と四国を鉄路で結ぶJR瀬戸大橋線(JR宇野線岡山~JR予讃線高松間71.8kmの路線で、…
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ついに消えたタブレット閉塞式に寄せる

-- かつては私も、某私鉄に勤めていた運転士時代に、自動閉塞式に移行するまでの6年間をタブレット閉塞式とともに過ごした経験を持つ。今年の春もようやく佳境に入ろうとしていたある日、JR久留里線のタブレット閉塞式が終焉を迎えたとの報に接して時代の趨勢には逆らえない虚しさを感じ、遠い運転士当時のタブレット受け渡しの情景が甦り、旧懐の念に浸って…
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女性貨物運転士の“心意気”を振り返る

か つて私が身を置いていた鉄道(西武鉄道)の貨物営業が、1996(平成8)年3月末日を以て80有余年にわたった歴史に終止符(実際上の貨物営業輸送の終焉は、1996年3月7日18時23分30秒横瀬駅到着の貨第1605列車を以てである)を打った。その貨物営業輸送の最終貨物列車のハンドルを握ることができたのは、21年半余りにわたって機関士とし…
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追憶・三河島事故から半世紀

 5月が巡り来ると、決まって想いを寄せずにはいられないことが、私にはある。半世紀も前の、あの大惨事・三河島事故だ。  今私は、鉄道を退職して10年余りが経つ悠々自適の身だが、かつて在職中にあって列車乗務員の発令を受けた1962(昭和37)年5月にまさしく驚愕を禁じ得なかったあの大惨事が起きたからにほかならず、同時に、私の40年余りにわ…
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線路脇の電信柱

 少年期の私の記憶はと問われれば、真っ先に脳裏に浮かんでくるのはいつも決まってヒューヒューッと車窓を掠め去っていった、線路脇に連なる電信柱の記憶である。  戦後間もない頃、記憶は定かではないが私が小学校2、3年生の夏休みの頃であったろう、父親に連れられ中央線で東京の八王子にある多摩御陵地(現在の武蔵陵墓地)を訪れたときに乗った、蒸気機…
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