~とあるエッセイ~ 「男の旅路」

       ~とあるエッセイ男の旅路
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・・・人間が歴史の中で自然界の力に頼らず、自ら自由にコントロールできる動力を造り出して移動を可能にしてから200年余りが過ぎる。その発端は、1804年に馬車用のレールの上を蒸気の力で貨車を引き、動力車がゆっくりと走り出した時に始まる。まさに、蒸気の力がさまざまな摩擦(抵抗)に打ち勝って前進を始めた瞬間であった。それ以来人々は、多様性に富んだ数々の輸送移動手段を得て、計り知れない恩恵に浴してきた。
 人間の知恵が創り出した最も素晴らしい機械…蒸気機関車はAIやITに代表される近代化社会の今も、現役としても勿論のこと、多くの人々の心の奥深くに綿々と生き続けている。 今でも、その機械を動かして日本の輸送(経済)を支えてきた“男”の誇りが、鉄路の上に未来永劫に輝く・・・。

男の旅路・・・・・・
 油と煤で黒光りする手摺りを握りしめて垂直に伸びる高いステップをよじ上ると、そこは焼けた油の臭いと熱風が全身を包み込むように迫る“男の職場”だ。タタミ2畳ほど…僅かに5㎡と狭い“鉄の箱”(運転室)の中は、正面の中央から巨大な缶の火室が眼前に突き出し、その上部から左右にかけ操縦用のテコやハンドル類がびっしりと並び、左側には機関士席、右側に機関助士席を配置する。
 石炭の青い炎に熱せられた火室のケーシングと焚き口から洩れ出る熱気と熱風で顔がヒリヒリと痺れ、周りの鉄板部に触れようものなら火傷するほどに熱い。また、狭い運転室を不用意に歩き回ると、突き出た機器などに躰を痛いほどに打ち付ける羽目になる。そして、運転室内にこびり付いた油煙と吹き込む石炭の煤煙で、機関士たちの顔も手袋も服も余すところなく真っ黒く汚れる。
 左側通行の日本の蒸気機関車は、前方に対して左側に機関士席、右側に機関助士席が配置され、機関士は列車の発進(前進・後進)・加速・惰行(減速)・停止・安全確保など列車運転の全ての業務を司り、機関助士は機関車の操縦に欠かせない給水や投炭作業(缶焚き)、バルブ操作など機関士の補助的作業を受け持ち、双方が相互に協力・協同して仕事をこなすことで一心同体となって列車の安全運転に努めるのである。それ故に、この機関士・機関助士両者が一心同体で行う協同作業(列車の運転)は時には、恰も“夫婦”の如き間柄の仕事に例えられて語られる。
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 機関車(列車)を走らせる運転台は、耳を圧するドラフト音(排気音)や鉄輪が衝き上げる振動と騒音に包まれ、大声で叫べども聞き取れない2人は身振り手振りで間断なく作業上の連絡を密に取り合う。さらには、高速走行に移ると、力強いドラフト音は一層耳を聾し、車輪の響きが堅いバネを介して鋼鉄の全身を激しく揺さぶり、周囲を共鳴させて狭い運転台は激震と騒音の坩堝と化す。その上に、運転台の前に突き出た太いボイラーで前方の視界が狭められる中での疾走する列車の運転には全神経を集中して止まず、冬ともなれば半身を寒風に晒し、夏には千数百度の火室から迸る熱気を浴びて、凍える血潮と燃えさかる血潮が躰を駆け巡る、運転台は男の苛酷な仕事の場ではある。
 日本に鉄道が登場して動力の近代化(蒸気力から内燃機関・電気動力)が達成されるまでのおよそ一世紀、その推移してきた幾星霜にわたって数多の男たちが“戦場”とも言われた苛酷な機関車乗りに挑み、計り知れない大切な人命を預かって“消しゴム”では消せない安全運転一筋にひた走ってきたことか。その、人間の限界を超えるが如き激務とその不規則な機関士生活、そして安全運転に向けた神経の酷使で張りつめていた日常の生活パターン。
 長年勤めた末に、定年で職場を去ると間もなくしてこの世を去って行った機関士たちは、少なくなかったとも言われている。
 かつて多くの人々の夢と憧れをこよなくその一身に集めた蒸気機関車は、羨望の眼差しに見守られながらその王道を驀進した。それを操ってきた“炎の男たち”の輝ける人生は、誇り高くも厳しく辛い「男の旅路」であった。 (終)

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