“熱闘”甲子園へ継ぐ ・ 第100回記念大会を迎え

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   第99回全国高等学校野球選手権大会終わる 
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                       深紅の大優勝旗を手に花咲徳栄高等学校 2017.8.23 〉


兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われていた2017(平成29)年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会は、打撃戦や逆転劇、延長戦の熱戦が繰り広げられ、グラウンドで全力を尽くす選手たちの姿が胸を打ち、連日スタンドからは惜しみない声援と拍手が送られる中で、埼玉県勢の花咲徳栄高校が全国3839チームの頂点に立つ初の栄冠に輝き、8月23日に15日間にわたった熱闘に幕が降りた ~

 埼玉県の花咲徳栄高校(加須市花崎)は、第99回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦(2017.8.23)で広陵高校(広島県)を14対4で破り、3年連続5回目の出場でついに県勢初の全国制覇を決め、悲願というよりむしろ待望の深紅の大優勝旗を手にして頂点に立った。埼玉県勢としては、第33回大会の熊谷高校(1951(昭和26)年))、第75回記念大会の春日部共栄高校(1993(平成5)年)に次ぐ3度目の決勝戦進出で悲願であった初の全国制覇を叶え、同県の高校球史を塗り替える快挙となった。
 本大会の主催者でもある朝日新聞社は当日(2017.8.23)、花咲徳栄高校が埼玉県勢として全国高等学校野球選手権大会で初めて優勝したことを伝える号外2万4000部を発行し、同校が所在する加須駅(加須市・東武伊勢崎線)やさいたま市の大宮駅などの駅頭で帰宅途中の人たちに配り、喜びを分かち合った。同社はまた、翌日(2017.8.24)の朝日新聞朝刊のコラム欄「天声人語」においても高校野球を語っている。参考までに同コラムを以下に掲げさせていただく。
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                  全国制覇して胴上げされる花咲徳栄高校岩井監督 甲子園球場 2017.8.23
・・天声人語・・ 『作詞家の阿久悠さんは、いくつもの「甲子園の詩」を残している。打撃戦に魅せられ、こんな言葉をつづった。〈鍛えられた人には/鍛えられた人にだけ与えられる/崇高にさえ思える威圧があって/それを証明することに遠慮はいらない〉▼そして続けた。〈純粋素朴に/素直に/バシッと打てば/カンと響く/さらに強ければ/キンと高鳴る/そういう野球がもっと見たい〉。鋭く強く打音が響き続けたのが、この夏の甲子園であった▼きのうの閉幕までの48試合で積み重ねられたホームランは、68本に達し、記録を塗り替えた。とりわけまぶしかったのが、ひとりで6本を放った広陵の中村奨成捕手である。一振り一振りに、球場がどよめいた▼打撃でしのぎを削ったのが、3回戦の神村学園と明豊の試合だった。九回で3点差から追いつく。延長戦で3点差をひっくり返す。絶望と希望がめまぐるしく入れ替わった。決勝でも花咲徳栄の襲いかかるようなバットが、広陵を圧倒した▼科学的なトレーニングの広がり。打撃練習用マシンの機能向上─。理由はいろいろと言われるが、一人ひとりの日々の鍛練が根幹にあり、打撃で魅了する現在の高校野球が生まれた。攻撃にさらされて、汗をぬぐう投手の重圧はいかばかりか▼〈甲子園は天才も待っているが/甲子園は努力で磨いた普通を/いちばん待っている〉。そんな願いもまた、阿久さんは記している。高校野球は変化を続けながら、100回目の全国大会を来年迎える。』

画像                             岩井 隆花咲徳栄高校監督甲子園球場 2017.8.23 〉 
 この夏の甲子園大会で初の栄冠を手中にした花咲徳栄高校野球部監督の岩井 隆さん(47)は、日本一は富士山と一緒、一歩一歩地道に踏みしめ登っていこう…と常日頃選手たちに語りかけてきた目標を見事に達成させた。その岩井監督には、恩師と仰ぐ人が二人(故人)いる。一人は、岩井監督の母校・桐光学園高校(神奈川県川崎市)の野球部監督だった稲垣人司さん(後の花咲徳栄高校野球部監督)である。桐光学園野球部の内野手だった岩井監督は、稲垣さんから技術面を含め野球のノウハウの教えを受けた。大学(東北福祉大学)卒業後、稲垣さんの招きで同氏が監督を務める花咲徳栄のコーチに就き約9年間を過ごしていた2000(平成12)年に、稲垣さんの急逝により2001年から同校の監督を引き継いだ。しかしながら、当時のミスも許さないというスパルタ指導を生徒たちに強いてきた下で思うような結果を出せずにいた。そんな焦りの中で、何気なく何時も見守ってくれていた当時の同校校長の佐藤照子さんから、「先ずはあなたが教員として成長しなさい…」と諭された。“ミスをしても気にするな”とさえも選手に言えなかった自分の愚かさに気付かせてくれたのが佐藤照子校長、二人目の恩師である。野球にまったくの素人から野球を教えられたことに、当時の岩井監督にとっては青天の霹靂だったと振り返る。今では、考え、イメージし、決断する“自立”を選手に求め、自らも研鑽を怠らない。教壇では社会科や世界史のほか倫理も教える岩井監督は、細心で実直かつ理知的な根っからの教育者であると同校野球部長(村上直心氏)は語る。

 夏の甲子園大会は毎年、試合の期間中に「終戦の日」が巡ってくる。今大会の初戦を突破した花咲徳栄の選手たちは、試合直後の8月13日に市立平和祈念資料館(大阪市吹田市)を訪れている。野球ができることへの感謝を忘れないで欲しい…、との岩井監督の選手たちへの思い入れである。去年(2016)の夏も、教育者として岩井監督は選手たちを伴って「ピースおおさか」(大阪市の戦争資料館)に足を運んでいる。平和に野球ができる有り難さを胸に刻み、成長して欲しいとの願いからだ…。また、準優勝に輝いた広陵高校(広島県)の選手たちも、本大会開幕前の8月6日に原爆が投下された午前8時15分に甲子園の室内練習場で、広島の方角に向き一列に並んで黙祷を捧げた。今年の終戦の日は、あいにくの天候不良で試合が中止となったが、明日の試合に向け練習に励む選手たちは一時動きを中断し、頭を垂れた。球児たちの夢を砕き、戦死した元球児もいる戦争の歴史を忘れてはなるまいと…。
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                                阪神甲子園球場
 戦時(太平洋戦争)下で行われた76年前の1941(昭和16)年の第27回大会では、甲子園を目指して地方大会も始まりながら、戦局が深刻化を増す中で大会は中止に追い込まれた。その後も戦局の悪化で、人々の生活そのものが窮地に至り、1945(昭和20)年8月には米軍による阪神地方の空襲で、焼夷弾を浴びた甲子園球場は焼損の被害を受けた。
 戦後の高校野球本大会は、早くも終戦の翌年(1946(昭和21)年)から西宮球場で復活(占領下にあった甲子園球場は連合軍に接収されていた)されたが、本来の甲子園球場での大会は接収解除を待っての1947(昭和22)年で、戦局を挟み実に7年ぶりの甲子園開催であった。その時から70年の幾星霜を歩み、高校球児たちの憧れの舞台・甲子園球場では真夏の青空の下で数多のプレーやドラマが紡がれてきた。野球ができる幸せを胸に、来年の夏には新調される深紅の大優勝旗の下で、第100回目となる全国高等学校野球選手権大会の記念大会を迎える。この高校球児の夢の舞台へ来夏、埼玉県勢からは2校がエントリーされて本大会に挑む。 (終)

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