三陸縦貫鉄路ふたたび ・・・

      ~ 三陸縦貫鉄路ふたたび・・・
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                                     〈 津波被災 ・ JR山田線の惨状 〉
・・・ 死者1万5893人、行方不明者2553人、震災関連死も3523人に達する東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から2017年3月11日で6年となった。今も、東京電力第一原発事故を含め、故郷を遠く離れて避難先で暮らす人々はいまだに約12万3000人にも及ぶ。地震が発生した午後2時46分、震災で亡くなられた人々を偲ぶ祈りが各地で捧げられた。その中にあって、震災によるJR山田線被災鉄路の復旧に向けた工事の槌音が響いていた ・・・

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画像JR東日本の地方交通線・JR山田線(盛岡~釜石間157.5km)は、先の東日本大震災で太平洋沿岸部を走る宮古~釜石間(55.4km)が地震による津波で21.7kmにわたって浸水し、線路や盛土、駅舎の損壊・流出をはじめ、7つの橋梁も流出して列車の運行が途絶えた。未曾有の甚大な津波被害を被ったため路線の復旧が見通せない中で、JR東日本は沿線の足(生活)を確保するために鉄道に替えてバス輸送(BRT案)による案をJR山田線沿線に提示していたが、同沿線の自治体は三陸鉄道の南・北両リアス線を挟んで両線を繋いでいた鉄道が無くなるのは沿線住民の生活にとって大きなマイナスになるとして、あくまで元の鉄道による復旧を主張して止まなかった。そもそも被災沿線の復興については、鉄道での復旧を前提としたまちづくり計画を立てていたのが、JR山田線の沿線自治体ではあった。
 もともと旧国鉄線の地方交通線であった現在のJR山田線(山岳区間の盛岡~宮古間と沿岸区間の宮古~釜石間とでは運行が別れる)は、JRとして発足(1987)当時よりクルマへの移行や沿線人口の希薄化で利用者が半分近くに減少しており、JR東日本が抱える在来線の中でも3本の指に入るほどの超赤字路線である。しかも、大震災後の沿岸部沿線の人口減少に歯止めがかからない。さらには、沿岸に沿い一般国道の三陸沿岸自動車道が“復興道路”と銘打って建設が進められているなど、宮古~釜石間の復旧に向けてはさまざまな負の面が顕在化していた。
 この宮古~釜石間の復旧に関しJR東日本においては、震災以前から同区間の輸送密度は693人/km/日と少なく、沿線人口の減少率も山田町で15.9%、大槌町では岩手県内でも最大の24.4%を示すなど復旧後の利用者確保がどう推移するのか大きな懸案として立ちはだかり、復旧への方途が模索されていた。
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                           津波で被災した車両 JR山田線
画像JR山田線の津波被災があまりにも想像を超えた状況であったためJR東日本としても、鉄路での復旧には相当の重荷が伸し掛かることから二の足を踏まざるを得ず、宮古~釜石間の利用状況から推して同区間のバス輸送転換によるJR東日本の沿線自治体への復旧案提示は宜なるかなであると思われた。しかしながら、双方の間で重ねられた協議の場を経るも、あくまで鉄道による復旧に固執して止まない沿線4市町(宮古市、釜石市、山田町、大槌町)の結束は固く、BRT化への拒否をJR東日本に通告(2013.9)するとともに鉄道での復旧を求めていた。
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                         津波で橋桁流出の大槌川橋梁 JR山田線
 その後、膠着状態が続く中でJR東日本は公共交通事業者としての立場から地域の公共交通を確保(住民生活の“足”)するため、JR山田線宮古~釜石間について被災した鉄道施設を復旧させた上で沿線4市町に無償譲渡し、JR山田線の運輸営業を三陸鉄道(南・北両リアス線)へ移管して一体運営化を図る意向を2014年1月に岩手県と沿線自治体側へ提示した。同時に、移管後の運営や設備の改良・整備などについても支援を行っていくことを示した。
 このJR東日本からの提示を受けた岩手県と沿線市町は、JR山田線および三陸鉄道の双方にとって一定のメリットが期待できるとして、JR山田線の三陸鉄道への運営移管は検討に値するものとして評価を示した。その後、JR山田線の運営移管に伴って増加する関連沿線自治体の運営負担への不安払底等に向けたJR側の条件提示が協議された結果、移管合意へ道筋が開けたことから2014年12月26日に三陸鉄道はJR東日本の運営移管提示の受け入れを決めている。その条件提示の概要は、運営移管にあたりJR東日本は移管協力一時金として三陸鉄道へ30億円を拠出するほか、車両や施設・設備などの鉄道資産の無償譲渡、検修施設等の管理拠点の整備および人的支援の協力等を行っていくとしたものであった。これにより、JR山田線の被災区間についてはJR東日本が復旧工事を行い、工事完了とともに宮古~釜石間を三陸鉄道に運営移管し、2018年度内を目途に全線開業(久慈~宮古~釜石~盛間)させることが決定された。ただ、津波被災を受けなかった宮古~釜石間の区間であっても、1930年代の敷設で疲弊が進んでいる路盤や線路、築提等が大震災後も放置状態に置かれていたことから、当該区間の劣化が課題視されていた。もし、三陸鉄道がそのままの状態を受け継ぐには同社のリスクが大きいと見なしてJR東日本は、被災復旧該当以外の区間に対してもPCマクラギ化やトンネルの修復・修繕などの線路・施設の一部強化工事を行うこととした。
 ちなみにJR山田線の運営移管による開業について当初は、2016年度に津波被害が比較的軽微な区間を先行復旧させて部分開業で臨む予定が立てられたが、沿線各自治体のまちづくりや再建計画および三陸鉄道側の信号保安システムの整備が間に合わないことに併せ、部分開業では需要の不安定が三陸鉄道へ及ぼす経営圧迫が予想されたことなどから、協議の末に2018年度内の全線同一開業に落ち着いた経緯を経た。
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                         第三セクター三陸鉄道堀内~白井海岸
画像三陸鉄道は、復旧後のJR山田線の営業移管を受けることで会社自体の大きな変容が予想をされてはいるが、移管区間を含め全路線の運営体制は現行通りの上下分離方式が踏襲される。また、現行路線に宮古~釜石間が加わることで踏切道などをはじめ鉄道関連施設が増えるため大幅要員増の必要と使用車両も8両増が見込まれており、三陸鉄道の本社機能が入っているJR宮古駅もJRから宮古市に譲渡されて三陸鉄道の営業となるなど、変化が訪れる。ただ、移管後においても、JRが実施する宮古~釜石間の強化対策工事対象外の老朽施設や線路などについて順次補修工事を必要とすることが大きな課題として残される。これに対して三陸鉄道は、国の鉄道事業再構築事業(運営の継続が困難または困難となる恐れのある旅客鉄道事業を対象としと行われる支援事業)を活用して進める計画としている。
 何れにせよ、先に触れたようにJR山田線の震災復旧に対し沿線4市町が鉄道による復旧を求める頑なな姿勢(鉄道への固執)を崩していたら、おそらく大震災前に構築されていた三陸沿岸縦貫鉄路はその存在が危ぶまれる状況に置かれていたに違いない。このJR山田線沿線の鉄道による復旧への固執には、三陸沿岸地方がかつて目指した「三陸縦貫鉄道構想」への強い思い入れが働いていた背景があろう。

画像もともと三陸鉄道は、戦後(第二次世界大戦)の「三陸縦貫鉄道構想」により建設された元国鉄の地方路線であった。三陸地方沿岸の鉄道過疎地帯を結ぶ鉄道の建設構想自体は旧く、1896(明治29)年に「三陸縦貫鉄道構想」が打ち出された120年前に遡る。縦貫路線の建設は、1928(昭和3)年11月の仙台~石巻間開業に端を発し、1939(昭和14)年9月には大正時代に盛岡からの建設が進められていた国鉄(官営)山田線の宮古~釜石間が開業している。この縦貫路線の建設構想は、官業であった国鉄が1949(昭和24)年6月に独立採算制の公共企業体「日本国有鉄道」として運輸省(当時)から独立して新発足した戦後も、三陸沿岸部に鉄道路線の敷設をとの沿岸部地方の切なる願いに応えるかたちで建設は継続された。そして、日本が1960年代からおよそ10年にわたって享受してきた世界にも例のない驚異の高度経済成長が息切れを見せ始めた1970年代(1970~75)に、盛線(盛~釜石間)と宮古線(宮古~普代間)および久慈線(普代~久慈間)が国鉄線として相次いで建設された。しかしながら、1970年代の後半に入った日本経済は社会全体が停滞と低成長へ移行し、すでに赤字経営(1964~)にあった国鉄の経営もこの現象に符合していった。その国鉄経営低迷の悪化で、縦貫路線構想の完成を目前に吉浜~釜石間(盛線)と田老~普代間(久慈線)の2区間が未開業(レール敷設はほぼ完了)のままで残され、国鉄再建法施行により1981年9月に盛・宮古・久慈の沿岸国鉄3路線の廃止が決定した。
画像 この事態に直面した縦貫鉄道の建設を推す岩手県および沿線自治体などは、国鉄が廃止決定した3路線を存続させて縦貫路線の完成を図るべく1981(昭和56)年11月に「三陸鉄道株式会社」(第三セクター方式)を設立し、翌年から廃止となった元国鉄3路線の建設を推し進めた結果、三陸地方の悲願としてきた縦貫鉄道を完成させた。
 そして、元国鉄線であった盛線の盛~釜石間の36.6kmの区間を「三陸鉄道南リアス線」、同宮古線の宮古~普代間と久慈線・普代~久慈間の計71.0kmの区間を「三陸鉄道北リアス線」として全通させ、これにより岩手県内の久慈・宮古・盛の元国鉄3路線は新線第三セクター「三陸鉄道」として1984(昭和59)年4月1日に開業した。この三陸鉄道は、全国で初の第三セクター鉄道として開業し、岩手県に引き継がれている。
 これにより、明治時代の中期に端を発した三陸沿岸地方を鉄道で結ぶ縦貫構想は、1928(昭和3)年の仙台~石巻間の開業を嚆矢に苦節半世紀余りを経てようやく1984(昭和59)年4月に完成に至った。しかしながら、完成を見たこの悲願の三陸縦貫鉄路ではあったが、2011年3月11日に起きた東日本大震災による自然災害(大規模津波)の猛威の下に三陸地方の鉄道は各所で寸断され、縦貫鉄路としての使命は儚くも隔絶に帰してしまった。

画像東日本大震災で寸断された三陸沿岸部地方の鉄道路線網(仙石・石巻・気仙沼・大船渡・山田の各JR路線および第三セクター三陸鉄道)は、復興へのまちづくりとともにBRT化を含む復旧計画に沿って路線の再建が進み、先に触れた如く現在はJR山田線の宮古~釜石間が2018年度内の復旧に向け工事が継続されている。そして、唯一、縦貫連絡が絶たれている三陸鉄道の北リアス線と南リアス線の間は、JR山田線の復旧・運営移管を待ってまもなく結ばれようとしている。
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                            明日へ走る・・・ ・ 三陸鉄道
 震災地域の復興に向けたまちづくりについては、あくまで鉄道の復旧を前提として進める方策が採られたことから鉄道の被災復旧は順調に進んだ。前述したように、震災で寸断された三陸縦貫鉄路はJR山田線の復旧・運営移管が成ることで再び繋がる。この日が来れば、三陸地方の鉄路による縦貫連絡への流れが戻り、久慈から宮古、釜石を経て盛に至るおよそ160kmに及ぶ三陸縦貫の舞台(“構想”)がよみがえる。  (終)

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