北へ新たな鉄路 ・ 北海道新幹線

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画像 “♪ はるばる来たぜ函館へ ・・・”との歌い出しで始まる「函館の女(ひと)」(作詞・星野哲郎、作曲・島津伸男)を演歌歌手の北島三郎さんがを歌って大ヒット(140万枚)したのは、今から半世紀以上も前のことであった。その1965(昭和40)年頃の当時は、本州の東京から海を隔てた北の大地・北海道の函館へは、当時の世相から航空機が庶民にとっては高嶺の花であったことから、夜行列車(急行)と青函連絡船(津軽海峡を航る青函航路)を乗り継いで行くのが一般的であって、16~7時間も要していた。その道南の新函館北斗(北海道北斗市・函館市中心部とは約18km離れている)までを、東京から4時間02分で結ぶJR北海道新幹線(新青森~新函館北斗間148.8km)が整備計画決定から43年を経て2016(平成28)年3月26日に開業した。

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               北海道新幹線東京行き一番列車はやぶさ10号出発式新函館北斗駅 2016.3.26
 半世紀前には、津軽海峡の青函航路を航るだけで4時間を要していたが、今ではその時間で東京~北海道間が結ばれることに思いを馳せれば、隔世の感を禁じ得ない。冒頭の「函館の女」で、“はるばる来たぜ函館へ…”と歌われたのはまさに当時の世情を言い得て妙であり、その情感のほどは宜なるかなである。
画像 かつての青函航路を行く青函連絡船十和田丸) 〉
 この北海道新幹線の開業により、半世紀を経て北海道から九州までの幹線鉄路が高速鉄道で結ばれる時代が到来した。かつては、東北本線の北の終着駅だった青森から函館までは、前述の如く本州と北海道の間を隔てる津軽海峡(110.0km)を青函連絡船に揺られて4時間もの船旅を強いられていた。同じ所要の4時間でも現在は、北海道へは首都圏がその最遠の範囲に在り、およそ30年近く前には思いも及ばなかった時間の世界である。その時間的短縮の要因として最大の原動力として働いたのが、着工(1964(昭和39))から約四半世紀の歳月を経て1988(昭和63)年3月13日に開業した青函トンネル(当初から新幹線規格で建設された海面下240㍍・全長53.85kmの世界最長鉄道海底トンネル)であった。ちなみに青函トンネルは、1954(昭和29)年9月26日の夜に函館港を出港した青森港行きの青函連絡船・洞爺丸(4337㌧)が折からの台風15号に遭遇し、函館港外七重浜沖で乗船客1151名を乗せたまま転覆・沈没した俗に称されている「洞爺丸台風沈没事故」をきっかけに、本州~北海道間の輸送の安全を期すために計画された海底トンネルである。台風15号では、洞爺丸を含め津軽海峡では日高丸・第11青函丸・北見丸・十勝丸などの貨物連絡船も遭難沈没し、総勢1500人を超える犠牲者を出している。その本州と北海道を隔てた津軽海峡で、長年にわたって人や物資を運んで人々の生活を支えてきた青函航路の青函連絡船は1988年3月13日の青函トンネル開業に伴い80年に及ぶ歴史に幕を降ろし、永い使命を終えている。62年前の、この洞爺丸沈没事故の惨事を知る世代も、今では少なくなってきた。北海道新幹線開業に至るその原点には、先人たちの艱難辛苦や多大な犠牲を伴ったことを忘れてはなるまい。
 北海道初の新幹線開業に関連し、開業当日に寄せられた新聞のコラム(天声人語)を次に参考として記してみます。… 『明治40年だから109年前の5月、21歳の石川啄木は妹を伴って津軽海峡を渡った。故郷での騒動で白眼視され、「石をもて追はるるごとく」ふるさとをのがれて、北海道に新天地を求めた▼陸奥湾に臨む青森市内の公園に歌の碑が立つ。〈船に酔ひてやさしくなれる/いもうとの眼見ゆ/津軽の海を思へば〉。いまは「こどもの日」の5日に函館の地を踏んだ。北の大地を彩る遅い春が、海峡を越えて北海道に渡る頃である▼梅、桃、桜の開花前線は、本州北端で待ち合わせるようにして、5月初めにかけて一斉に海峡を渡っていく。天下の春を集めた函館は、傷心の啄木に美しく映った。つかのまの幸福な日々を、そこで過ごすことになる▼その函館へ、待望の新幹線が延びる。〈ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく〉。啄木の歌碑のある上野駅をへて東京から約860㌔。昭和の演歌にうたわれた北への旅は、きょうから4時間2分にまで縮まる▼ひと足早い「春」ながら、前途の厳しさも聞こえてくる。一番列車こそ25秒で売り切れたが、この先は空席も目立つ。飛行機との競争も多難らしい。赤字がかさんで「冬景色」に沈まぬよう、お願いしたい▼ビジネスより観光需要に期待する声もある。15年後には札幌まで至る計画という。そこには啄木の〈石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ〉という叙情ゆたかな歌碑が立つ。北への憧れをかき立てて、旅情で売る新幹線。それもいい。』 …
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 北海道新幹線(新青森~札幌間約360km)は、1973(昭和48)年に国によって整備計画が決定された新幹線5路線(「整備新幹線」と呼称…東北新幹線盛岡市~青森市、北海道新幹線青森市~札幌市、北陸新幹線東京都~大阪市、九州新幹線福岡市~鹿児島市、同福岡市~長崎市)の内の一つで、昨年(2015)3月14日に開業した北陸新幹線(長野~金沢間228.1km)以来の開業である。この時点で、国が定めた新幹線整備計画で未成なのは、北海道新幹線新函館北斗~札幌間のほか、北陸新幹線金沢~大阪間と九州新幹線長崎ルートの武雄温泉~長崎間である。
 なお、北海道新幹線は2030年度の開業予定で札幌までの延伸(約211km)を目指している。ちなみに一般に“整備新幹線”と呼称される新幹線は、国土の基幹交通の一環として国が整備計画を定めて建設を進める路線で、1970(昭和45)年に成立・制定された「全国新幹線鉄道整備法」(全幹法)に基づいて進められている新幹線鉄道である。
画像 津軽海峡を超える北海道新幹線は、青函トンネルを挟む前後82kmの区間を全国の新幹線で唯一貨物列車(在来線)と共用して同じ線路(3線軌条式)上を走る。そのため、青函トンネル(53.85km)を含むこの区間(82km)においては列車のすれ違いの際の風圧で貨物列車の積み荷が荷崩れを起こさないように、新幹線の最高速度260km/hは140km/hに抑えられている。これにより、東京~新函館北斗間の所要時間は最速4時間02分(空路羽田~函館間1時間20~30分)と、鉄道の需要が航空機より優位になるとされる“4時間の壁”を越えられず、この4時間切りは安全輸送を最優先に見送りとなった。さらには、先に触れたように函館市の中心部まで約18kmという新函館北斗駅の立地(新函館北斗~函館間はアクセス列車「はこだてライナー」が最速15分で連絡)もあってスッキリとはいかずに、不協和音がくすぶる中での出発とはなった。
 「ついに津軽海峡を通って北海道の地に乗り入れることとなった。新幹線によって観光産業が北海道や東北の大きな力になると期待している」と、JR東日本の社長(冨田哲郎氏)が東京駅での下り一番列車「はやぶさ1号」の出発式で挨拶した。その北海道新幹線は、当面1日13往復(新函館北斗~東京間10往復、新函館北斗~仙台・盛岡・新青森間でそれぞれ1往復)が運転される。JR北海道では、さしあたって2016~18年度の新青森~新函館北斗間の青函トンネル区間の利用者数を在来線時の1日約3700人から最低でも1日5000人程度を見込むものの、乗車率(新幹線13往復の座席数計1万9006座席)は当面26.3%に止まるものと見ている。さらに、全長約54kmにも及ぶ青函トンネル区間の維持費などが嵩むことから、開業当初の3年間は年平均48億円の赤字を見込むスタートとなった。その背景の一つには、空路より鉄道を選ぶ目安とされる“4時間切り”が見送られたことも絡むが、何よりも今回結ばれた中間に2駅(「奥津軽いまべつ」と「木古内」)を挟む新青森~新函館北斗間の沿線が過疎の地域(奥津軽いまべつ駅が存在する青森県東津軽郡今別町は人口2728人・人口密度21.8人、木古内駅が存在する北海道上磯郡木古内町は人口4544人・人口密度20.5人(共に2016.2現在))であり、大企業や工場立地が乏しく、安定した利用の確保が期待しにくい状況にある。JR北海道の島田修社長も、輸送需要から見てもゴールデンウィークや夏休み等のシーズンと厳しい冬場のシーズンとでは必然的に利用者数に乖離が生じるだろうと、利用者獲得への懸念を示す。
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                        営業運転を開始したJR北海道新幹線 2016.3.26
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 初の新幹線の運行を託されたJR北海道にとって、待望の新幹線開業の喜びとは裏腹に、初年度から当面年平均48億円もの赤字が見込まれる厳しいスタートとなっている。同社は現在、2011(平成23)年5月に発生した石勝線列車脱線火災事故以降列車の出火・焼損事故や貨物列車の脱線事故、線路の補修・点検の放置、検査データの改竄、社員の不祥事などを連続して発生させたことから2014(平成26)年1月に国土交通大臣から事業改善命令・監督命令を受け、安全で信頼される鉄道会社への再生に向け全社を挙げて取り組んでいる最中にある。今も、鉄道事業全体で年およそ400億円の営業赤字を抱えながら、2600億円の巨費を投じる安全確保への改善計画案の実施とともに、営業収支の改善へ向け経営建て直しの途上にある。先のダイヤ改正(2016.3.26)においても、同社は普通列車全体の運行を7%(8路線79本)減便するとともに、8つの無人駅(函館本線鷲ノ巣、石勝線十三里・東追分、根室本線花咲、石北本線上白滝・旧白滝・下白滝・金華)を廃止している。
 ともあれ、今のJR北海道では、経営の如何に係わらず安全対策へ求められる投資需要が拡大しており、経営上での厳しさは今後も続く。さらに、北海道新幹線の赤字が嵩めば、安全の確保に対してコスト削減へ過大な圧力が高まりはしないかとの懸念もされるところだ。いみじくも、新函館北斗駅の新幹線出発式(2016.3.26)でJR北海道の島田修社長は、北海道民の夢と期待を乗せた北海道新幹線の安全運行に最大限の努力を心掛けていく、と挨拶した。いずれにせよ、如何に厳しい経営環境の下にあっても、安全を蔑ろにすることだけは絶対に避けなければらないことである。(参照・公開ブログ「JR北海道の再生に見る」2016.3.4)
画像 青函トンネルを抜け北海道の地に初上陸した営業列車はやて91号2016.3.26
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 このほど新幹線整備計画(1973(昭和48))で定められた営業区間(青森市~札幌市間約360km)を半ばにして開業した北海道新幹線(新青森~新函館北斗間148.8km)は、2030年度には同整備計画に沿って札幌まで延伸(新函館北斗~札幌間約211km・整備費約1兆6700億円)される予定だ。およそ14年後になるが、新幹線が札幌まで延伸されるとなれば、道内最大の190万都市・札幌市を中心とする道央圏は勿論のこと、青函圏、仙台圏、首都圏までもが“線”で結ばれることになり、道の経済界では東北地方へも観光をはじめ様々な生活分野で大きな経済効果を生み出していくであろう、と期待に声を上げる。
 先に触れた如くに、到達時間の所要だけを競となれば、首都圏とを結ぶのに航空機に対し北海道新幹線に勝ち目はない。しかし、点と点を結ぶ航空機に対して鉄道は“線”で諸都市間をくまなく結べるのが大きな長所であり、新函館北斗から東北の仙台まで2時間半、埼玉県の大宮までなら3時間40分などと細やかな輸送対応が可能で、しかも道内の在来線で函館から札幌に行く時間と大差はなく、東北や関東圏へと北海道新幹線の利用地図は拡がる。
画像 …遠くて寒く不便な北の大地・北海道、演歌や歌謡曲が抱かせてくれる望郷の地・北海道、時代の中で青函連絡船との縁を植え付けられてきた北国・北海道、北に向かって帰省する人たちにとってとてつもなく遠かった故郷・北海道…。これまでに、北へ向かう旅人たちにさまざまにイメージされてきた北海道は今、新たな期待と展望を乗せて道内で初の新幹線の誕生を見る。その北海道新幹線は今後に、どのような北海道の新しいイメージを創り出していくのであろうか。今にしても、北海道への旅立ちには特別な旅情を掻き立てられる御仁も多かろうと思う。そうした北への鉄路の旅情は、新生・JR北海道新幹線の将来にとっても主要なアイテムの一つとなろう。 (終)

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