空の安全に寄せる

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画像 この1~2年、世界の空においては俄には信じられないような事故やトラブル(後述)が起きていおり、再び空の安全が問われている。そうした中で2015年8月12日に、単独機の航空事故としては世界最多の520人が亡くなるという1985(昭和60)年の日航(日本航空)ジャンボ機墜落事故から30年を迎えた。墜落現場である群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根では、遺族らが尾根の斜面に点在する墓標や、墜落地点に建つ「昇魂之碑」に祈りの手を合わせた。ちなみに世界最多の死者数を出した航空事故は、カナリア諸島テネリフェ島のテネリフェ空港でパンアメリカン航空とKLMオランダ航空のジャンボジェット機同士が滑走路で衝突して583人が亡くなった、1977(昭和52)年3月27日に起きた事故である。
 日航ジャンボ機墜落事故から30年を迎えた12日、御巣鷹の尾根に慰霊登山をした日航の社長(植木義晴氏)は「事故を風化させず、安全意識を確固たるものにするのが我々の務め」と語った。しかし、このところ航空機のトラブルが後を絶たない。日本の航空会社約70社を対象とした調査で国土交通省によると、昨年度(2014年度)に発生した事故やトラブルは928件に上り、人為的ミスが207件(2割以上)を占め、その中でも整備ミスによるトラブルが目立つという。

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画像 御巣鷹の尾根の墜落現場に建つ「昇魂之碑」 2015.8.12
 日航ジャンボ機墜落事故から30年を迎えた2015年8月12日の当日、御巣鷹の尾根に慰霊登山したのは106家族・406人で、過去最多だった2005(平成17)年(103家族・405人)を上回った。ここに、当日の朝日新聞(朝刊)に掲載の日航ジャンボ機墜落事故に因む「天声人語」の欄を転載させていただく。
… 『鮮やかな朱色の表紙につけられた「茜雲」というタイトルの由来は悲しい。日航ジャンボ機事故で亡くなった人たちが最後に見たであろう、夏の夕焼け空の色である。520人もの命が絶たれた墜落から、きょうで30年になる。▼「茜雲」は事故の翌夏から、遺族がおもいをつづる文集としてほぼ毎年作られてきた。痛みを分かちあうためのものでもあった。今年は事故を知らない世代にも広く伝えようと、一般向けの出版を決めた(本の泉社刊)。▼夫と9歳、7歳の子を亡くした女性は、「いちばん幸せで輝かしかった時代は、やはり結婚して子育てをした10年の濃厚な日々でした」と寄せた。20歳の娘を失った父親は「今一度、もう一度だけ、できることなら触れてみたい……」。歳月に癒えぬ悲しみに胸が詰まる。▼遺族でつくる「8・12連絡会」の編集だが、会の名に「遺族」の文字はない。前を向いて、最愛の人がなぜ死んだのかを問い、亡くなった人のぶんも生きたい。そうした意思をこめてのことと聞く。▼空の安全への働きかけも絶やさずにきた。事故は、多重安全の設計を誇ったジャンボ機の「神話崩壊」でもあった。「どんなに技術が進んでも、安全の最後の守り手は人間の意識です」の言葉を茜雲の序文に置いた。▼この30年、日本の大手航空会社で乗客が死亡した事故はない。しかし教訓に慣れすぎたところへ、悲劇はすり寄ってくるものだ。犠牲者の無念と遺族の慟哭を忘れまい。誓いの原点に立ちもどる日でもある』 …
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 ちなみに日航ジャンボ機墜落事故とは、1985(昭和60)年8月12日(月)18時56分頃、羽田(東京)発伊丹(大阪)行き日本航空123便(ボーイング社ジャンボジェット機・524人(乗員15・乗客509)搭乗)が群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称・御巣鷹の尾根)に墜落して520人が亡くなり4人が重傷を負った、単独機の航空事故では世界最多の死者数を出した事故である。事故機(JA8119)は、1978(昭和53)年6月2日に大阪の伊丹空港でしりもち着陸事故を起こして尾部を中破し、事故後のボーイング社の修理が不適切であったことによる圧力隔壁の破損が本事故の主原因と結論付けられている。墜落に至る事故経緯の概要は、羽田空港を離陸後まもなくして相模湾上空を巡航中に突然の衝撃音とともに緊急事態が発生して123便の垂直尾翼は安定板の下半分のみを残して破壊され、その際に航空機の操縦を司るハイドロプレッシャーシステム(油圧4系統)の全てが損傷に及んで操縦困難(操舵不能)に陥ってしまい、30分余りの迷走の末に群馬県の山岳部に墜落しとしまったのである。

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 航空界においては2010年以降、機体やエンジンなどの信頼性の高まり(技術の高度化)から巡航飛行中の事故がほとんど見られなくなり、航空機の事故や重大なトラブルは大幅に減少した。1990年代には、世界で航空の犠牲者が年間1000人台に上っていたのが、2010年以降は年間500人程度に減っており、世界的にも空の安全性に対して楽観論が広がりを見せていた。
 航空機事故の発生率を飛行段階(駐機中・地上走行中・離陸中・上昇中・巡航中・降下中・最終進入中・着陸中等)で見ると、地上滑走から初期の上昇中までの段階で24%、最終進入から着陸までの段階で47%という発生率で起きており、航空機事故の7割以上がこの二つの飛行段階で占められている。ちなみにこの二つの飛行段階をフライト時間に占める割合から示すと、例えば1時間30分のフライトでは地上から初期上昇中が2%(2分足らず)、最終進入から着陸が4%(4分足らず)とわずかな時間帯に過ぎず、その6分にも満たない短い時間帯に航空機事故の7割が集中しているのだ。こうした数値が示す事故の発生率から、従来から概して航空機は“離着陸時の時間帯以外は安全”と考えられてきた。ところが、このような航空機の安全通念を覆すような重大事故が、安全性が定着したと思われていた航空界でこのところ起きている。それも、近年とんと見られない巡航飛行中の事故で、飛行中に忽然と姿を消す大型旅客機、操縦士が意図的に墜落させた事故など信じ難い事故やトラブルが起きている。

高度3万5000フィート(1万668㍍)で水平巡航飛行中の旅客機が、航空管制室のレーダー上から忽然と姿を消したのである。2014年3月8日深夜、マレーシアのクアラルンプール空港から乗客乗員239名(乗客227名・乗員12名)を乗せて中国の北京に向かっていたマレーシア航空370便(B777型)が、離陸からおよそ50分後に南シナ海上空で行方不明になったのである。当時、管制レーダー上から姿を消した370便を、マレーシア空軍のレーダーが北上を続ける370便が進路を変えてマレー半島を西方に横切り、南下を始めたところまでの機影を捉えていた。
画像 マレーシア航空162便の消息不明後1年半を経て発見された同機の残骸 2015.7.29
 239名の人命がかかっていることから、マレーシアをはじめ周辺国、米国、中国、韓国、日本などから救難隊が派遣されて懸命な捜索活動が展開されてきたにもかかわらず事故の痕跡発見には至っていなかったが、行方不明から約1年半を過ぎた2015年7月29日にインド洋のレユニオン島(フランス領)で主翼の一部と見られる残骸が発見されている。
 マレーシア航空では、当該事故の4カ月後の同年7月にウクライナで乗客乗員298名全員が死亡する墜落事故(親ロシア派の地対空ミサイルによる撃墜と見られている)が発生している。

インドネシアジャワ島のスラバヤにあるジュアンダ国際空港を2014年12月28日午前5時35分に離陸し、シンガポールのチャンギ国際空港に向かっていたインドネシア・エアアジア8501便(A320型、乗客155名・乗員7名)が同日午前6時17分頃に消息を絶ったが、その後ジャワ海に墜落していたことが確認され、乗客乗員162名全員が死亡している。
画像 ジャワ海から回収されたインドネシア・エアアジア8501便の機体の一部 2014.12
 高度3万2000フィート(9754㍍)で巡航飛行を続けていた8501便は、航空管制に対し飛行前方の雲を避けるために西側へ航路を迂回することと、高度を3万8000フィート(1万1582㍍)に上昇する許可を求めていた。しかし、海中から回収されたフライトレコーダーによって同機の異常な飛行状況が判明した。8501便は、巡航飛行で高度を変更する際の通常の上昇率毎分1000~2000フィート(305~610㍍)を大幅に超える8000フィート(2438㍍)で急上昇していた。ボイスレコーダーには失速警報音が残されているほどに、操縦士が“雲”の回避を如何に急いでいたかの様子が伺える。
 事故原因は未だ解明に至っていないが、緊急事態への操縦士の操縦不適切を含む失速の可能性や急上昇に起因する計器凍結による自動操縦制御装置の誤動作などが航空専門家の予測として挙げられている。

何といっても想像を超えて衝撃的だったのは、2015年3月24日に欧州で起きた操縦士(副操縦士)が意図的に航空機を墜落させ、乗客乗員150名の命を奪った“事件”である。
 スペインバルセロナのエル・ブラット空港からドイツのデュッセルドルフ国際空港に向け飛行していたドイツルフトハンザ航空傘下のLCCジャーマンウイングス9525便(A320型、乗客144名・乗員6名)が管制レーダー上から消え、フランス南東部のブロヴァンス地方のアルプス山中に墜落していたことが判明、150名全員の死亡が確認されている。
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                  副操縦士が意図的に墜落させたジャーマンウイングス9525便の当該機 2015.3
 9525便の副操縦士(27歳・精神疾患)が、機長が操縦室を退出した隙に“こと”に及び、操縦室のドアが内側から施錠(外部からのテロ行為強化対策)されていたことから機長らは異常行為に対処できなかった。この事件直後、欧州航空安全庁が“2名以上の在室”を義務付ける規則の導入を各国の政府および航空会社に勧告した。これを受け日本でも、2015年4月28日に同様の規則を国土交通省が暫定的に義務付け、1人が操縦室を退出する際には他の乗務員が代わりに入室して相互に監視する体制がが採られている。
画像 広島空港への着陸に失敗したアシアナ航空162便 2015.4.14
韓国の仁川国際空港を発ったアシアナ航空162便(A320型、乗客乗員81名)が広島空港に進入時、着陸に失敗する事故が2015年4月14日の午後(20時05分頃)に起きた。標高330㍍の山間部にある広島空港は、気象変化が大きく、山間地特有の気流の影響を受け易い特徴を有する。当時も、162便の着陸1分前に1300㍍あった視界が、着陸時には400㍍まで狭まっていた。
 着陸体勢に入っていた162便は、通常より30~40㍍低い異常ともいえる低さで滑走路に進入して設置されている高さ6.4㍍のI LS(計器着陸装置)のアンテナ部分に接触・破壊して着陸したが、滑走路南側の芝生エリアへ逸脱し、機体をほぼ180度転回させて停止した。乗客乗員81名全員は脱出用シューターで機外に脱出をしたが、27名が負傷(軽傷)した。フライトレコーダーの解析概要によると、162便は着陸の2秒前にエンジン全開による着陸復航(やり直し)を行っていたが、エンジン反応の間もなくI LSに衝突している。事故原因には、濃霧による視界不良や操縦士の最終判断ミス等が挙げられている。

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 航空会社のみならず、民間の小型機が乗り入れ、自衛隊の所属航空機も常駐する、航空機の発着回数で羽田、成田、福岡に次ぐ過密空港として全国で4位の沖縄の那覇空港で、2015年6月3日13時25分頃に航空機3機(全日空(ANA)1694便・日本トランスオーシャン航空(JTA)610便・航空自衛隊のヘリコプター)が絡むあわや大惨事に至りかねなかった重大インシデントが発生した。
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 那覇空港を離陸滑走中だった新千歳行き全日空1694便(B737型・乗客乗員83名)の前方滑走路上を航空自衛隊那覇基地所属の輸送ヘリコプターが横切って飛行したため、これに気付いた全日空機は危険と感じて急遽離陸を中止して滑走路上で緊急停止した。その直後に着陸体勢に入っていた新石垣空港発の日本トランスオーシャン航空610便(B737型・乗客乗員44名)が同滑走路にそのまま着陸し、緊急停止した全日空機のおよそ400㍍手前で停止した。自衛隊機の離陸許可に対する勘違いとその復唱誤りに管制官が気付かず、また、滑走路上の全日空機を視認しながら着陸には支障ないと判断して着陸を敢行した610便が着陸復航の回避行動を取らなかった(航空法で航空機が存在する滑走路への進入は禁じられている)この二つが、あわや大惨事に至りかねなかった発端であった。
 昨今の航空界においては、安全性に係わる技術の格段の進歩によって航空機の飛行の安全は定着期にあるといえるものの、現代の世相を反映した犯罪行為や乗員の精神的要因等に関わる航空事故が起きており、近年、航空を取り巻く安全環境は新たな局面を迎えているといえよう。 (終)…JRガゼットを参照させていただいた.

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