繋がってこそ“三陸鉄道”

宮城・岩手・青森(かつての陸前・陸中・陸奥)各県の太平洋岸に沿うリアス式海岸で知られる三陸地方を走る第三セクターの三陸鉄道(本社・岩手県宮古市栄町)は、東日本大震災(2011.3.11)により甚大な被害を受けて列車の運行を全面的に休止して以来、国の全面的支援などを得て復旧可能な被災区間から鋭意復旧工事を進めてきた結果、最後まで不通区間として残っていた南リアス線(盛~釜石間36.6km)の吉浜~釜石間15.0kmと北リアス線(宮古~久慈間71.0km)の小本~田野畑間10.5kmが復旧してそれぞれに2014年4月5日と同6日に運行再開を果たし、これにより地元沿線が大震災以来心待にしていた三陸鉄道の南・北路線の全面運行が3年ぶりに再開されたのである。
画像 大漁旗を掲げて祝う三陸鉄道の全線運行再開
 しかしながら、大震災を乗り越えた奇跡の全面復旧に沿線がお祝いムードに包まれ沸き立つ中で走り始めた三陸鉄道ではあったが、南リアス線と北リアス線に挟まれ両リアス線の間を連絡していたJR山田線の沿岸部を走る宮古~釜石間(55.4km)が現在、大震災の甚大な被害の影響で未だに復旧の目途が立たずに放置の状態にあるため、南北両リアス線の間は連絡が分断されたままの状況にある。沿線人口の乏しい三陸鉄道にとってこの連絡分断の状態は、利便性の向上や輸送量確保などを目指す上からも早急に解消が図られなければならない喫緊の課題であろう。
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                                     三陸鉄道全線開通の記念列車が行く
東日本大震災による被災が余りにも甚大であったJR山田線宮古~釜石間の復旧についてJR東日本は、当初復旧には概算でおよそ210億円を要すると試算したものの、黒字事業体の同社は法制度上から国の復旧支援を受けられないため、従来から極めて厳しい経営環境に直面しているJR山田線に照して沿線4自治体(宮古市・山田町・大槌町・釜石市)に対し復旧に長期間を要し費用も嵩む鉄路での復旧に代わって早期の復旧が容易で低コストで済むBRT方式(バス専用道を走るバス高速輸送システム)による仮の復旧案を地元沿線に堤示したのである。
 しかし、この提示案は、あくまでも鉄路での復旧を望む地元の鉄道に対する根強い執着心もあって、仮復旧ながら一度BRT化されてしまえばいずれは鉄路の復活がなし崩し的に消えてしまいはしないかという懸念を払拭しきれない沿線自治体や地元住民から拒否されてきた。その打開策としてJR東日本は、約140億円を負担して被災鉄路を復旧させる前向きの姿勢を示した一方、津波対策などに対する路盤の嵩上げ工事などに要する約70億円については国の支援を求めていたのだ。
画像 その後も、宮古市や釜石市など沿線4自治体とJR東日本などで構成される「山田線復興調整会議」を通じて被災路線(山田線)の復旧について話し合いが何度となく持たれてきたが、鉄路による復旧を強く求めて止まない地元側との協議は平行線を続けていた。そのような最中の2014年1月31日にJR東日本は、震災後3年近くを経てもなお解決への途が開けないJR山田線(宮古~釜石間)の復旧への今後の方途について、同社が被災路線を復旧させた上で地上施設・設備や用地などを沿線自治体に無償譲渡し、列車の運行を第三セクターの三陸鉄道に委ねるとした方針案を、国や岩手県および沿線の4自治体が参加した「山田線復興調整会議」で提案した。その中でJR東日本は、無償譲渡後の向こう数年間の運行事業に伴う赤字分を補てん(10年で5億円負担)していく意向も示した。
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             東日本大震災で橋脚が流出したJR山田線第34閉伊川橋梁
もともと地方交通線であるJR山田線は、輸送量(利用者)が大震災前ですらJRとしての新会社発足当時(1987(昭和62)年の国鉄改革)より4割と半分近くも減少(クルマの普及や沿線人口の希薄化)しており、現在のJR東日本が抱える在来路線の中でもワースト3に入るほどに利用者の数が少なく、しかも沿線人口の減少化に大震災後も歯止めがかからない。さらに、JR山田線の開業は1935(昭和10)年といたって旧く、施設・設備の老朽化が顕著だ。その上に現在、JR山田線に並行するように一般国道の三陸沿岸自動車道(宮城県仙台市を起点に岩手県宮古市に至る三陸沿岸地域の物流を担う自動車専用道路)の建設が“復興道路”としての位置づけの下で、急ピッチで進捗している。
 そうしたJR山田線を取り巻く現状の中で、JR東日本が被災した宮古~釜石間の復旧に対し将来的な路線維持如何の方向性に思いを巡らすのははむしろ当然のことであり、復旧に係わり将来的な不安(安定的な路線維持)を拭えないのは無理からぬことである。その熟慮の結果が、最終的とも思える今回のJR東日本が提示した沿岸部を走る被災JR山田線の沿線自治体への無償譲渡案ではなかったか。

一方の三陸鉄道は、もと旧国鉄の路線として戦後の「三陸縦貫鉄道構想」により建設(戦前からの既設路線・国鉄山田線を挟む)されたものである。鉄道過疎地の三陸沿岸部に鉄道路線を敷設しようという地元住民らの切なる願いに応えたかたちのこの構想により、1970~75(昭和45~50)年の間に国鉄線として盛線(盛~釜石間36.6㎞)、宮古線(宮古~普代間44.9㎞)、久慈線(26.1㎞)(いずれも現行営業キロにより表示、以下同じ)の建設が相次いで開始されたのである。しかしながら、昭和50年代に入った日本の経済が昭和40年代の“高揚の時代”(高度経済成長期)に別れを告げるかのように停滞と低成長へと移行し、国鉄の経営もまた国の経済状態に符合するが如くに財政の悪化に陥っていった。
画像           三陸海岸沿いを行く南リアス線・唐丹~吉浜間
 こうした財政悪化の国鉄の再建を図ろうと、1981(昭和56)年3月の「国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)」施行に伴い、建設途上にあった盛・宮古・久慈の各路線はバス転換が適当との判断により特別地方交通線(国鉄再建法で規定する地方交通線のうち、旅客輸送密度が4000人未満で廃線またはバス転換が適当とされた国鉄線)の指定(第一次)を受け、路線の完成を目前にして建設が凍結されてしまった。この時点で、盛線の吉浜~釜石間15.0kmと宮古線の田老~普代間32.2kmの間は、レール等の敷設がほぼ終わっていたにもかかわらず未開業区間のままで残った。ようやくにして、全線の開業を間近にまで漕ぎ着けた三陸縦貫線ではあったが、その後に国鉄再建法により盛・宮古・久慈の路線は国鉄線からの廃止が決定してしまった。
 この事態に直面した岩手県と沿線自治体等は、目前で消えていった地元沿線が待望していた三陸縦貫線の存続・完成を図るべく1981年11月に「三陸鉄道株式会社」を設立し、翌年から未開業区間を残したままで廃線となった縦貫線の建設工事を推し進め、1984(昭和59)年に三陸地方の悲願であった縦貫鉄道を全通・完成させたのである。全国初の第三セクター方式の鉄道として開業した「三陸鉄道」は、旧国鉄当時の盛線(盛~釜石間)を南リアス線に、同宮古線(宮古~普代間)と久慈線(久慈~普代間)を北リアス線として転換し、現在に至っている。
 しかし、もともと沿線の人口密度が薄い地域を縦貫する三陸鉄道は、開業後10年ほどの間は利用への需要に支えられてどうにか輸送人員の確保を続けて切り抜けてはきたものの、少子高齢化が始まった1990年代に入った直後から過疎化に拍車がかかり、モータリゼーションの普及と併せ輸送人員は減少の一途を辿るとともに1994年頃から赤字経営へ転落し、以後今日に至るまで赤字経営が続く。その厳しい経営状態にもめげずに、全線にわたって不通となる甚大な被害をもたらした東日本大震災を乗り越えて再び従来の三陸鉄道てして復興・復活できたのは、同社の被災鉄路復興に対する地道な努力と沿線住民の足の確保に邁進した強堅な信念とともに、国による強力な援助(被災路線復旧費の全額)と友好国の中東・クウェートからの温かい支援(3両の新型車両提供支援)および地元住民の復活にかける強い想いなどが重ねられて得られた結果であろう。
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路線の施設や用地等を沿線自治体が保有し、列車の運行を三陸鉄道が担う(上下分離式)という、被災JR山田線を沿線自治体へ無償譲渡するJR東日本の提案に対し岩手県は、路線の維持管理や施設・設備の更新などに対し新たに多額の費用(経費)捻出が発生するのではとの判断から、施設や用地等の保有は県財政にとって非常に重いリスクを負わせかねないとして、同県と沿線4市町は「山田線復興調整会議」の場でJR側へ従来通りの施設や用地等の継続保有を求める統一要求を示した。このJR東日本の無償譲渡提案を巡っては、同社と新たな負担増を懸念する地元側との協議が未だ平行線を続けており、結論には至っていない。一方で、列車の運行を三陸鉄道に委ねるとした無償譲渡の提案に対して、運行面だけに思いを馳せれば一体運行の実施にはやりがいを感じるとして、三陸鉄道は同提案に前向きな姿勢を示している。もし、地元沿線が当初から求めて止まない鉄路によるJR山田線の復旧(三陸鉄道側も望む方向)を今後も強く望むのであれば、復旧に係わる諸問題の早期解決を図る上からも地域が一体となって“マイレール”として保有し維持していく方策も考えて見てはどうだろうか。
 地方における移動の足として、地域に根差す公共交通機関の第三セクター鉄道がこれからも高進していくであろう高齢化社会に欠かせないインフラである以上、同鉄道が将来的にある程度安定した運営を継続していける何らかの国家的施策も必要とされよう。いずれにせよ、並行・隣接道路の整備などで社会がクルマ利用の環境に傾く中で、路線力(輸送需要)が低下傾向にある第三セクター鉄道にとっての頼りは如何に利用者を安定的に確保していけるのか、その途を探ることに尽きよう。
画像 東日本大震災の被災から3年ぶりに全面復活した三陸鉄道は、“復興のシンボル”として全国から注目を浴び、今年(2014)5月の大型連休ではいつになく多くの集客があった。しかし、こうした現象は一過性の念を拭いきれず、勿論、そうたびたび望めるものではない。
 宮城県の仙台から青森県の八戸までを結ぶ、戦後の「三陸縦貫鉄道構想」によって実現した三陸鉄道ではあるが、大震災により運行休止中のJR山田線を挟む南・北リアス線の間は隔てられたままに、三陸縦貫の役割は絶たれた状況にある。かつては、山田線の宮古~釜石間も三陸鉄道の運営に移行させてはどうかという構想もあったらしいが、三陸地方の復興と活性化を将来にわたって担っていくべき三陸鉄道にとって、今、一番必要かつ望まれ求められているのは現在も宙に浮く南北両リアス線の分断解消であろう。
 かつての縦貫鉄道構想に託された鉄道建設への真意に触れるとき、鉄道は相互に繋がってこそその持てる力を発揮できるという現実に突き当たる。現在も分断された状況にある三陸鉄道の分断解消に対し、分断を余儀なくさせているJR山田線の復旧に係わる問題の早期解決に向け、関連地域が一体化して努力していく必要があろう。南北両リアス線が繋がり、再び縦貫の流れが戻れば、久慈から宮古、釜石を経て盛に至るおよそ160kmを超える縦貫鉄路の構成が成る。その先には、繋がってこそ三陸鉄道の縦貫線としての“真価発揮”が再び巡ってくる。 (終)

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