因む ~月の使者ニール・アームストロング氏逝く

 結婚して、私が第二の人生に第一歩を踏み出したのは、1969(昭和44)年4月26日のことだった。その後間もない、およそ3ヵ月を過ぎた同年7月に、人類の宇宙への恒久的な夢であった月への着陸という偉業達成がこの地球にもたらされた。この人類初の月面着陸は、新婚間もない当時の私にとっては、新生活の新鮮さもさることながら、その気持ちをさらにリフレッシュさせてくれたビッグニュースとして記憶に深く刻み込まれた出来事であった。

画像
       〈 アポロ11号の宇宙飛行士たち:左からニール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ飛行士、バズ・オルドリン操縦士 〉
 当時の様子は、各新聞が一面のトップで月面着陸の快挙を大きく報道し、テレビは着陸のシーンを世界中に衛星中継し、送られてくる生中継の月面着陸のリアルな映像に日本中がくぎづけとなった。
 そのときから43年、人類初の月面着陸を果たした米国宇宙飛行士のニール・アームストロング氏(82)が2012(平成24)年8月25日に死去したとのニュースに接し、驚きとともに私の昔日のあの感慨に悲しみが加わった。
 ニール・アームストロング氏は米国のオハイオ州ワバコネタで生まれ、1949(昭和24)年に海軍に招集されて朝鮮戦争(朝鮮動乱)に従軍した後、米国空軍のパイロットを務めた。その後の1962(昭和37)年に米航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士に選抜されたアームストロング氏は、1969(昭和44)年7月20日に38歳のときアポロ11号の船長としてバズ・オルドリン操縦士とマイケル・コリンズ飛行士の二人と共に月へ向かい、人類で初めて月面に着陸した。
画像 〈 在りし日のアポロ11号のニール・アームストロング船長 〉
 月着陸船イーグルのステップを降り、月面に左の靴底で人類初の第一歩を印したアームストロング船長は、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」(That's one small step for a man,one giant leap mankind.)とのメッセージを発し、つとに知られている有名な言葉として宇宙開発の歴史の中で今も輝き続けている。そして、この偉業は、当時の米国民にとってはフロンティア精神の象徴であるとして、絶賛されたのであった。
 ちなみに人類初のその第一歩が印されたのは、日本時間の1969年7月21日月曜日の正午前だった。以後、17号まで計7回のアポロ計画が実施に移され、事故のため引き返した13号以外の6回の計画が成功を納めて、計12人の宇宙飛行士が月面を踏んでいる。
 月からの帰還後、1971(昭和46)年にNASAを退役したアームストロング氏は故郷のオハイオ州に戻り、物静かで謙虚な同氏は英雄視されるのを避けて華やかな席や企業、政界などからの誘いを拒み続け、公の場にはほとんど姿を見せることなく、大学教授や実業家として閑静な余生を送った。同氏の死去を受けオバマ大統領は、「彼の探求心は、更なる遠い宇宙に向かおうとしている人を含め、未知の探検に命を捧げている人たちの中に生き続けている」とする声明を出している。
 この人類の“月への第一歩”は、人工衛星の打ち上げ実績さえ持たない当時の日本の宇宙開発分野に、多大な影響を与えた。
画像                                     〈 故ニール・アームストロング氏 〉
 ニール・アームストロング氏の死去に接し、アポロ11号関連に因んで新聞の投稿欄に寄せられた読者の記事を以下に引用します。
記憶に残る人類初の月面着陸(仙台市青葉区 無職男性72歳)
 1969年に人類で初めて月面に降り立った、ニール・アームストロング氏が死去した。
 大きな宇宙服姿でゆっくり月面を動く勇気溢れる姿は、今も記憶に深く刻まれている。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」という言葉は、歴史に残る名言だろう。
 同氏には、特別な思い出がある。当時のわが社の秋の運動会で、仮装行列大会があった。出場の命を受け、ふと浮かんだのが同氏の宇宙服姿だった。宇宙服は段ボールを使い、実物に見えるよう全体をゴツゴツさせ、ヘルメットをかぶり、スキー靴を履き、スキー用手袋をはめた手には街中で拾った大きめの石を持った。
 私の宇宙服姿が大会会場に現れた途端、「ワァー 」と歓声が上がった。子どもたちが次々と握手を求めてきた。夜遅くまでして仮装衣装を作った苦労が、一瞬にして吹き飛んだ。
 人類に大きな希望を与えたアームストロング氏の偉業は、この思い出と共にずっと私の記憶に残ることだろう。

アームストロング親子の品格(東京都練馬区 女性語学教師67歳)
 アポロ11号月面着陸翌年の1970年、私は米国オハイオ州の大学に留学した。奉仕活動を通じて、ニール・アームストロング船長の両親を紹介された。二人は若い私にも丁重なあいさつを返し、キリスト信者らしい品格に満ちた謙虚さに感銘を受けた。自分たちからは、宇宙飛行士の息子の話はしようとしなかった。
 私は、未知の宇宙へ愛息を送り出したときの気持ちを尋ねた。二人は静かに答えた。「神様から息子に与えられた使命であり、大きな恵みです。信頼しておりましたので何の心配もありませんでした」。
 その後も、手紙や時節のカードを通じた親交は、数年前に二人が天に召されるまで続いた。生前、母ともども、静かな町の木立の中にあるご自宅に招かれたことも、今では懐かしい。
 アームストロング船長は、英雄視されることを避け、引退後も静かに余生を送られたという。この両親にしてこの子あり。船長、安らかにお休みください。
画像 〈 米国宇宙飛行士3人の銀座パレード・1969.11.4 〉
 1969年11月4日、ニクソン米国大統領の特使として、人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号の3人の宇宙飛行士が来日した。快挙を成し遂げた宇宙飛行士たちは、日本国民から熱烈な歓迎を受けて迎えられ、当時の新聞は「ようこそ 月の使者」といった見出しでその光景を大々的に伝えた。
 来日した3人の宇宙飛行士はオープンカーに乗って来日当日、快挙達成の興奮が覚めやらない日本の真ん中の東京銀座をパレードした。沿道には12万人もの見物の人々が押し寄せ、両側のビルの窓という窓からは歓迎の大量の紙吹雪が投じられてオープンカーに降り注ぎ、3人は祝福の嵐に包まれた。そして、3人の宇宙飛行士には、外国人としては初の文化勲章が授与されている。
画像                                   〈 1969年11月5日 朝日新聞朝刊掲載 〉
 ここでは余談になるが、パレードが行われた翌日の新聞(1969.11.5朝日新聞朝刊)にパレードに関連した「サザエさん」の漫画が掲載された。その4コマ漫画に関し、先日の当該新聞(2012.9)の「サザエさんをさがして」のコラムに掲載された内容を引用させていただき、43年前の月面着陸に因んでみたい。
 同コラムの文面によれば、この4コマ漫画(サザエさん・ガマの油売り)の描写時間を1日巻き戻すことができたとすれば、素浪人風の出で立ちをした大道の香具師(やし)は画面の中でこんな口上を述べ立てていたはずであるとして、次の如くに推し測った口上を語らせている。
 ~ 「さあさあ、お立ち合い。ご用とお急ぎでなかったら聞いておいで。手前、筑波山の妙薬、陣中膏ガマの油を売って生業としておりまする。ガマの油の効能は、まずは切り傷、やけどにしもやけ、前にまわればインキンタムシ、後ろにまわれば肛門の病にも効く。皆さまご存知、あの人類で初めて月面に降り立ちましたるアポロ11号の宇宙飛行士も救急箱に忍ばせていたという万能薬じゃ。
 おーっと、お立ち合い。まさしくその宇宙飛行士のパレードの通り道に居合わせるとは、なんたる幸運。取り出したる天下の名刀にて1枚の紙を細かく切り刻み、歓迎の花吹雪を散らせてご覧にいれよう」 ~と。
 “ガマの油売り”は、戦前までは全国の祭りや縁日などでよく見られた光景(商売)だという。もし、こんな大道芸を当時の銀座で見かけるようなことなどあったとしたら、まさに月への到達にも似て奇跡であったろう。
画像 〈 故ニール・アームストロング氏の水葬式典 2012.9.14 〉
 漫画にまで登場した月面着陸の快挙、その“月”は日本人にとっては古来から心象の深い“お月さま”として存在しているだけに、人間が到達したことでその後の月に対する人々の印象はどう変わったのだろうか…。

 2012年9月14日、ニール・アームストロング宇宙飛行士の葬儀の式典が、故人の遺志に基づき水葬として大西洋上の米海軍艦船上で行われた。米国国旗を支え持つ8人の儀仗兵に送られ、遺灰は波静かな青海原に葬られた。そして、月の英雄は、広い海の懐に抱かれ長い眠りについたのである。
 人類の結集された英知と飽くなき探求心の下で、人類初の月面着陸という偉業を成し遂げ、月面に比類なき第一歩を印した亡きニール・アームストロング氏に、この場を借りて深く哀悼の意を表する者です。 (終)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック