線路脇の電信柱

 少年期の私の記憶はと問われれば、真っ先に脳裏に浮かんでくるのはいつも決まってヒューヒューッと車窓を掠め去っていった、線路脇に連なる電信柱の記憶である。
画像 戦後間もない頃、記憶は定かではないが私が小学校2、3年生の夏休みの頃であったろう、父親に連れられ中央線で東京の八王子にある多摩御陵地(現在の武蔵陵墓地)を訪れたときに乗った、蒸気機関車に牽かれた客車の石炭の臭いが入り込む薄汚れた窓の外を迫り来ては掠め去っていく電信柱の流れに心地よく列車のスピードを感じていた、あのときの忘れられない遠い想い出が今も新鮮に浮かぶのだ。

 終戦直後も国鉄においては、しばらくの間本社や管理局、駅などの現場を結ぶ電話回線には線路に沿うように建てられた電信柱に張った通信電線が使用されてきた。
 この全国の鉄路を隈無く結んでいた通信電線網は、鉄道にとって“神経”ともいうべき主要な情報交換手段であった。日本の鉄道創設(1872(明治5)年)とともに始まった鉄道通信は、もともと専業の電信会社に依存しない、独自の鉄道電話線を全国に張り巡らせた“自営通信”という特殊な環境の下で、鉄路の歴史と歩みを共にしてきた。
 先の戦災(太平洋戦争)で、鉄道にとって血流とも言える通信設備も大きな戦禍を受けた。この敗戦で、国中が虚脱状況にあった中で当時の国鉄が、創業以来培ってきた底力を糧に戦災に耐えながら鉄道を止めることなく汽笛を焦土に響かせていた光景は、国民に悪夢から立ち直る力を与えた。同時に、鉄道の通信設備もいち早く復旧が図られ、戦災下の鉄路復興に力を添えた。
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 蒸気機関車牽引の列車が主体だった昭和20年代、その頃までの鉄道通信設備は2本の細い通信電線を空中に張った単純な架空線方式だった。線路に沿って、付きつ離れずに電柱(木柱が大半)が建てられ、その上部に通信回線を張る白い碍子の付いた腕木の桁を左右に張り出して取り付け、裸銅線の通信電線を張っていた。2本で1回線分の通信電線は、必要な回線量に応じて腕木の数とともに増えていった。張られている通信電線の本数が多いほど、その線路は幹線路線である証であった。
 この腕木が何本も取り付いて通信電線が張られた電信柱は、あたかも当時の夏の季節には欠かせない日用品だった“ハエたたき”に容姿が似通っていたことから、鉄道が好きな者たちの間ではそのままに「ハエたたき」と揶揄気味に呼ばれていた。今となっては、その姿も線路から消えて久しいが、当時を知る御仁にとっては頬が緩みだしそうに懐かしく思い出される、郷愁をこよなく誘う“電信柱”ではなかろうか。

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 この架空電線による通信方式は、雨・風・落雷など自然界の影響を受けやすい上に、ノイズの発生や長距離通信に難点があるなど質的安定度に欠け、通信障害もしばしば起きた。機構上(架空電線)からも、多量の通信回線設置に制約があって、通信量の確保が難しかった。そのため、戦後の鉄道通信設備の強化を図るにあたって国鉄は、1948(昭和23)年に日本で最初のVHF(多重無線)方式を採用し、さらにSHF(極超短波多重無線)方式の通信設備を日本で初めて実用に供した。有線に比べ災害等に強く、マイクロウェーブと言われて長距離にわたり多数の回線が構成できる、電柱架空式に比べ大幅に経済的で効率的な鉄道通信の近代化が図られた。

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 山間を、海岸線を、そして幹線を、どこを疾走していても蒸気機関車が牽く列車を引き立ててきた、蒸気機関車には最もお似合いの線路脇の電信柱ではあった。しかし、鉄道通信の近代化の下で、かつての蒸気機関車全盛時代を彷彿させる線路の名脇役として長い間君臨してきた電信柱も、やがてその役目を終え、“ハエたたき”の愛称とともに舞台を降りていったのであった。
 昔日の日本の鉄道を語る上で、線路沿いに電信柱が連なる空へ抜ける鉄路を猛然と白煙を吹き上げ力強くドラフトを轟かせて疾走する蒸機列車の姿は、線路脇に立ち並ぶ電信柱とともに欠かすことのできない鉄道の原風景の一つでもある。そして、半世紀を優に超えてなお、瞼に鮮明に浮かぶあのときの汽車の窓を掠めていった腕を一杯に広げた“電信柱”は、また、少年期を今に甦らせてくれる私にとっての原風景でもあるのだ。
(終)

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この記事へのコメント

鬼太郎
2017年10月08日 15:03
ハエ叩き電柱の写真を直リンでお貸し下さい。
当方、技術解説ページですが、AT饋電方式、BT饋電方式記事に使う良い解説写真を探していて発見、
写真をクリックするとこのページにきます。

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