残像・赤い電機(E851形電気機関車)

鉄界で唯一のF級強力機関車であった“赤い電機”ことE851形電気機関車(全4両)が、西武鉄道の鉄路からその姿を消してすでに一昔以上が経つ。将来の私鉄界に目を向けてみても、新製されるであろう電気機関車はあったにしても、F級形の登場はおそらくないものと思われ、E851形電気機関車は私鉄の貨物輸送に君臨した唯一のF級電機として語り継がれていくのではないだろうか。
 四半世紀以上にわたって貨物列車を牽引してきたその赤い電機も、まだまだ十分に活躍の余力を残しながらも貨物営業の廃止(1996(平成8)年3月末日)と時を同じくするが如くに、1両(E854号機)を残して廃車・解体されて万片のスクラップと化し、鉄路の上から姿を消した。かろうじて残された1両も、静態保存として庫内に眠り、イベント等の際にだけ青空の下にその赤い姿を現すに過ぎない。

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 新製・登場(1969(昭和44)年)した当時、かつての日本の機関車にはなかったそのボディカラーの斬新さは周囲を驚嘆させ、話題となった。私鉄の機関車としては、国鉄(当時)の大型機関車にも比肩する性能を赤いボディに包み込んで、1000㌧の貨物を牽いて西武秩父線の山岳線を上り下りしたE851形電機の重厚な雄姿は、山間の四季に映えた。そして、27年に及ぶ稼働と奮闘に耐え抜いた源は、当時の最先端機器の採用・運用にあった。それらの機器類も、静態保存機に残されてはいるものの、今となってはその稼働の姿を留めない。
 ここに、E851形電気機関車の在りし日を偲ぶ縁の一端ともなればと、稼働中に記録したものの中からいくつかを紹介させていただく。

 運 転 室 画像 
 国鉄(現・JR)のEF65形電機に準拠した機器配置で、主幹制御器は国鉄(同)のEF81形電機と同形(MC115形)のKL38形、機関士・助士席の椅子もEF81形電機と同形である。ただ、機関助士席の椅子は、E31形電気機関車の登場時(1986(昭和61)年)に同機(全4両)の機関士席に転用され、簡易型の椅子に替えられた。側窓は落とし込み式・フリーストップ(バランサー式)形、冷房装置は不搭載で、運転室内の通風は足元の通風口と扇風機による。ハンドブレーキはネジ式(第1エンドは№1軸、第2エンドは№6軸の1軸のみに作用)で、前面テーブル上にハンドブレーキ締結表示灯(赤色)を設置。パンタグラフは電車と同様のバネ上昇・空気下降式採用のため、引き紐(助士席側天井右隅)で上昇可能。


 主幹制御器 
画像 速度制御域…S(直列)ノッチ・11ステップ(1~4ステップは手動進段、ただし1ステップは40%界磁弱め起動・5~11ステップは自動進段)、SP(直並列)ノッチ・8ステップ(自動進段)+界磁弱め制御4ステップ(手動進段・78%~61%~49%~40%)、P(並列)ノッチ・5ステップ(自動進段)+界磁弱め制御4ステップ(SPノッチに同じ)。また、各ステップ間をさらに細かく刻むバーニア制御(6ステップ)が牽引重量の大小(設定電流値)に応じて自動選択される。
 また、ノッチホールドスイッチを操作することで、自動進段のノッチを手動で1ノッチずつ進段させることができる。なお、電気ブレーキ(発電・抑速)制御は持っていない。


 台   車 
画像 両端台車は国鉄(現・JR)形式のDT138形、中間台車は同DT139形に準じる。動輪には、機関車としてはパイオニア的存在であった一体型(圧延)車輪を使用した。山岳線(西武秩父線)の勾配線区用でもあったE851形電機は、線区の連続する勾配長が最も長くて9㎞弱と短いため電気ブレーキの採用が見送られた(コスト削減のためか?)ことから、急勾配線区降坂運転に起因する帯熱が招くタイヤ弛緩等を考慮して一体型の車輪が採用された。しかし、これが裏目に現れることとなった。
 かつて重量貨物を牽引して25‰下り勾配を長い距離降坂する運転経験もノウハウもなかったことから、西武秩父線開業当初の1000㌧重量貨物を牽引して長い25‰下り勾配を40km/h以下の制限速度を保持しながら降坂する際、列車全体にブレーキをかけたままで運転を継続していた。そのため、ブレーキ力の強い機関車が貨車の抑速分(ブレーキ力)をある程度担う状況となって、そのブレーキ力の負担量分が余計に動輪を過熱させる結果となった。
 この極度に帯熱した動輪が、駅の停車間合いのたびに山間の冷気に急激に冷やされることを繰り返していたため、タイヤ踏面部分の側面外周に沿ってひび割れの状況を生じさせていた。この結果、新製間もないE851形全機の動輪(タイヤ部分)は、一度に10年分の使用にも匹敵する量が削られてしまった。(画像は私が機関士になった直後のもので、新製後5年を経過したときの例である)
 これを機に、空気ブレーキのみによる急勾配区間を降坂する運転のノウハウを当時の国鉄に学び、その後に活用されていった。なお、両端台車に斜めに取り付けられたオイルダンパーは、上下方向67%・左右方向33%の割合で緩衝作用を受け持つ。


 中間連結器 
画像 異種の連結器同士を連結する必要があるときに使用する、一種のアダプター的存在の機器で、密着連結器に連結する構造面と自動連結器に連結する構造面を一体化した鉄製の構造物である。自動連結器を使用する貨物列車(機関車、貨車)と密着連結器を使用する電車が同一線路上を走る併用線区では、この中間連結器を車両に搭載して必要時(救援、入換)に備えている。
 西武鉄道では、貨物列車を牽引する機関車に中間連結器を搭載し、E851形電機には第1エンドの運転室(他の形式機も同じ)に1台が搭載されていた。取扱にあたっては、使用時の運転速度はさまざまな制約から低く(20km/h以下)抑えられ、使用にあたっても一人の力には余るほどの本体重量があり、そう容易い作業(密着連結器に装着する)ではない。主に本線上で故障した電車の救援に使われるが、ちなみに稼働中のE851形電機で使われたケース(かつてE71形電機が本線上で故障した電車を救援したケースがあった)はなかったと記憶する。


 静止形インバータ 
画像 当時(E851形電機登場時)、機関車の制御電源等の発電機は電動回転形が主体であって、国鉄(当時)最新鋭電機のEF66形でさえも回転形を搭載していた。そうした中でE851形電機は、いち早く静止形インバータ(SIV-4A-1形)を搭載して登場した。ただ、当時の半導体等の関連技術からして、容量が4KVA(DC100V・23A、AC100V・12A、DC24V・6A)と小さく、しかも重量が半㌧近く(493㎏)と大型であった。
 半導体技術の画期的な進歩や多様性に富む現在に比べれば、それこそ前時代的な代物と思われても仕方がないものの、その採用に当時の意気込みを感じさせてくれる。
 回転形に比べれば、その静粛性はこの上なく、ブロワー(電動送風機)を運転していない停車中のE851形電機は忍びの者のように静かであった。今でこそ、静止形インバータ全盛だが、その点でもE851形は先取性に富んだ電気機関車であった。


 屋根貫き部 
画像 電気機関車特有の部分で、パンタグラフから取り入れた架線電圧を屋根を貫いた高圧電線によって機械室内へ引き込む部分である。高電圧機器類が所狭しと並ぶ機関車の機械室内では、最も危険な個所にあたる。その割には、周りには何のガード(接触・感電防止柵等)も施されていない(機関車に共通)ことから、誤って触れればアウト、あの世に行きかねないのだ。
 しかも、通路(両側通路式)に面しており、手を伸ばせば届くほどの所にむき出しとなっている。ただ、機械室内でも屋根貫きの白いガイシが一際目立ち、あたかも危険を警告しているかの如くに、その存在感を誇示していた。


 ブレーキ弁脚台 
画像 E851形電気機関車は重連総括仕様の機関車で、ブレーキ装置(EL14A)のブレーキ弁(単独・自動)を支える個所には筒形状のブレーキ弁脚台(KB7形、一部釣合空気ダメを兼ねる)を備える。
 脚台には、制御弁を使用する運転台のブレーキ弁へ切り換える切換コック(丙形(赤色))が取り付けられている。この切換コック(第1~3の切換位置がある)は、前記の役目の他に、本務機関車のブレーキ操作によって補助機関車のブレーキが制御されるように切り換える役目を持つ。勿論、ブレーキが正常に作動するためには、両運転台(1エンド・2エンド)の切換コックを運転状態(単機、総括重連、無動力回送、最後部補助機)に即して正しく整備(通常運転…単機運転では運転エンド第1位置・反対エンド第2位置、総括重連運転では本務機は単機に同じ・補助機関車は両エンドとも第2位置)しなければならない。
 ただ、正しく整備されなかったとしても、重連総括仕様でない機関車にあってはブレーキが失効するような事態(エンドの交換は必ずブレーキを施して行う)を招くことはない。しかし、重連総括仕様では、切換コックの整備不良(切換コックを両エンドとも第2位置のまま第2エンド側で運転するとき)がブレーキの失効を招く弱点を持っている。この切換コックの整備不良とブレーキテストの失念が、かつてE851形電機にとって“あわや”という事故を招いた。
 新秋津駅に上り貨物列車を牽いて到着したE851形電機の機関士は、入換(到着時の1エンド運転台)を終えて単機での下り列車となるため、下り側の運転台(2エンド)に乗務位置を換えた。その際、換えた運転台の切換コックの切り換え(第1位置へ)を失念し、ブレーキテストも怠ってしまった。ブレーキを弛めてそのまま出発し、次停車の所沢駅構内に入って所定停止目標に停止すべく単弁でブレーキを扱ったが効果がほとんどなく、直ちに自弁を非常ブレーキ位置としたが、これまたブレーキ効果はなかった。切換コックを確認したところ、第1位置にあるべきものが第2位置にあった。直ちに第1位置へ切り換えようとしていた矢先に、ブレーキがかかり、停止目標を40㍍ほども行き過ぎたところで停止した。
 後部運転台で到着監視中の車掌が、停止する気配のないのに気づき、車掌弁(B3A吐出弁)を操作していたのだ。しかし、入駅中で速度が低かった(20km/h前後)にもかかわらず、車掌弁を操作(非常ブレーキ)はしたものの前述した重連総括仕様故の弱点がいみじくも露呈し、ようやく停止し得る程度のブレーキ力しか得られなかった。どうにか停止し得た直前には、人や車が横断中の踏切道が横切っていた。
画像 この“あわや”を助長させた一つに、新秋津~所沢駅間の下り列車に対する勾配が上りの片勾配のため、運転途中でブレーキを使用する機会がなく、ブレーキの不具合には気付かず終いであった状況があった。もし、途中で一度でもブレーキを扱っていたとしたら、対処にも余裕を持てたであろうが、停車間際では後の祭りとなった。ブレーキテストに関しても、編成された列車であれば車掌や駅係員との間でブレーキ機能を確かめる定めとなっているため、ブレーキの不良は防ぎ得る。しかし、機関車単独の場合は、機関士自らがテスト・確認するのを通例としていたため、“あわや”の余地が残されてしまった。
 こうした、運転台交換(エンド交換)時におけるノンブレーキ状態を解消する目的で、当時の国鉄ではブレーキ切換コック切換失念防止回路(切換コックが運転エンドは第1位置、反対エンドは第2位置に整備されないと起動回路が構成されない…起動できない)を切換コックに取り付ける改善を、1985(昭和60)年2月から始めた。残念ながら、西武鉄道ではこの種改善は行われなかった。


 電気式調圧器 
画像 電力と空気圧力は鉄道車両にとっての2大動力源だ。そのうちの空気圧力は車両自らで作り出すもので、それを貯めて置くところが元空気ダメ(タンク)である。その空気圧力の使用に際し、空気圧力を過不足なく制御装置やブレーキ装置に供給できるよう、元空気ダメ内の圧力を一定の範囲に保つために空気圧縮機を制御する役目を持つのが調圧器である。
 調圧器には、空気圧縮機の運転・停止を制御する入り作用(運転)と切り作用(停止)があり、その切換時機を空気圧力の変動で直接制御するのが空気式で、一方電気式は空気圧力の変動を電気的(位置検出器により無接点検知)に検知して切換時機を制御するものである。電気式は、空気式に比べ小型・軽量であると同時に、切換時機の調整も容易で省メンテナンスである。
 E851形電機では、制御装置の多くの部分に無接点の制御機器が用いられ、メンテナンスの省力化が図られていた。電気式調圧器の搭載も、その一端であった。


 E 吐 出 弁 
画像 急動弁ともいわれ、E吐出弁の搭載がE851形電機にとって特別であったということでは勿論なく、大形機関車のブレーキ装置には機能上欠かせない機器の一つでもある。
 E吐出弁は、列車ブレーキの急動作用(非常ブレーキ)の伝達を促進するためにブレーキ装置に設けられた一種の中継弁である。ブレーキ管内空気圧力の減圧速度が常用ブレーキの度合いを超えた場合に、これを感知してブレーキ管内空気圧力を速やかに大気へ排出し、各車両のブレーキ制御弁へ非常ブレーキの伝達を促進させるのがE吐出弁の役割である。
 機関車の大形化に伴い、機関車のブレーキ管が長くなるのは当然ながら、機器配置等の複雑化で配管上におけるブレーキ管の屈曲が避けられないためにより長くなり、しかも輸送量の増加で重連運転の必要性も高まったことで機関車のブレーキ管は長くなる一方であったため、ブレーキ機能をさらに向上させる必要から中継弁(E吐出弁)の併用が促進された。勿論、E851形電機にもE吐出弁は登場時から搭載済みであった。
 機関車にE吐出弁を導入するきっかけとなった背景には、大きな列車衝突事故に学んだ過程があった。その事故とは、1956(昭和31)年10月15日夕刻、下り快速旅客列車(蒸気機関車重連牽引客車列車の鳥羽行き)が出発信号機の停止信号を冒進して安全側線へ突入し脱線・転覆したところへ、駅に進入中であった上り快速旅客列車(同名古屋行き)がこれに衝突し脱線・転覆して死者42人・重軽傷者94人を出した、国鉄参宮線(現・JR東海の紀勢本線)の六軒駅構内で起きた「参宮線六軒駅事故」である。

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 この事故の調査途上で、下り列車の非常ブレーキ距離が問題に上った。時速60㎞で非常ブレーキを扱ったとされる下り列車の脱線・転覆に至るまでの距離が異常に長かったのだ。その解明のため、事故当時と同じ場所・列車編成・状況で非常ブレーキの実験が繰り返され、停止するまでの実際の距離と理論計算上の数値(距離)が照合されたが、実験数値の方が理論値より100㍍以上も長いことが判明した。その後も、操車場内で同様のテストが繰り返されたが、機関車(重連)寄りから3~4両目の客車までは非常ブレーキは作用するが、それ以降の後部客車には常用ブレーキの作用で、非常ブレーキは作用していなかった。
 それらデータを基に、専門家による検討がなされた結果、重連組成した機関車のブレーキ管が40㍍にも及んでいたために空気ダメの役割(後部車両のブレーキ管内空気圧力の減圧速度を緩和せしめる)を果たし、ブレーキ管内空気圧力の急減圧がその長いブレーキ管の部分で次第に緩和され、後部方向客車のブレーキ制御弁に機関車からの急減圧が伝わらずに、常用ブレーキの作用に終わっていたことが確認された。
 このような経緯があって、非常ブレーキの伝達が確実に列車全体に及ぶよう改善策として、その後の大形機関車のブレーキ管にはE吐出弁が設けられるに至ったのである。

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、JR(貨物会社)における近年の新性能機関車誕生の陰で、E851形電気機関車設計の基ともなったEF65形やEF81形といった国鉄時代の機関車の淘汰が進んでいる。そうした状況の中でも、いまだ稼働中のEF65形やEF81形の健在ぶりを目にするにつけ、走行距離や稼働量でそれらよりも数段に少ないであろうE851形電機がまだまだ働ける力を充分に秘めながら早々に鉄路から消えていったのは、惜しまれるところではあった。
 そんなE851形電気機関車の身辺ではあったが、廃車を直前に初めて客車(JR12系6両)を牽くというかつてない華やかな舞台が用意され、去り際の花道を飾ることができたのは、27年に及び長い間現場の第一線に在ったE851形電気機関車にとってせめてもの慰めであったろう。
 ここに掲げた数葉の画像に、E851形電気機関車の在りし日を想い起こしていただければ、そして、記憶の隅にでも留めておいていただければ幸いである。 (終)
 

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この記事へのコメント

Takeshi
2008年12月31日 22:08
子供のころから秋津2号踏切(もう無いけれど)の秋津方沿線に住んでおりまして、西武の音は子守唄でした。
ゴーと大きなブロワの音、続いて6回地響きがします。(家の前に下り閉塞信号があります。)
「大きい機関車だ!」このE851は通るとすぐわかりました。
いつの間にか貨物列車は通らなくなり、JR連絡線は赤く錆び、
信号の絶縁継ぎ目も無音化されすっかり静かになって、
少しさびしい気もします。
あの「大きい機関車」はこうなっていたのかととっても興味深く
拝見いたしました。
西武の裏話など身近なだけにとても面白いです。
次のお話楽しみにしております。


とある無名の特殊乗り物マニア
2016年12月29日 02:41
もしE851形がいま健在だったら秩父鉄道のパレオエクスプレスの客車を牽引する事を見れたかもしれない、著者のE851形に対する愛情を深くかんじる。
とある無名の特殊乗り物マニア
2016年12月29日 02:48
もしE851形がいま健在だったら秩父鉄道のパレオエクスプレスの客車を牽引する事を見れたかもしれない、著者のE851形に対する愛情を深く感じる。余力を残しながらの廃車は非常に惜しまれる機関車だった事はこれを見てもわかる時が立つのは早いもので 西武鉄道の象徴とも呼ばれた3000系が引退廃車となった古い時代の西武の面影を残すのは9000系や新2000系だけだ。
電気機関車
2017年01月20日 05:15
私鉄最大の機関車ともあるとそのメカニックはとても複雑ですね これを動かしてた当時の機関士は大変なご苦労があったのでしょうね電車運転士との兼ね合いだからシフトの方もでも貨物が廃止になっても現役だったら電車故障時の救援機関車としての需要があったのでは?廃車が惜しまれます。
高野悟
2021年01月24日 13:33
西武沿線に住んで約60年ほど。E851は、私の地元の自慢でした。都内の私立中学に通いそこで鉄道研究会を立ち上げました。当時の国鉄にはない斬新なカラーと丸窓に心を打たれ特別な存在だった記憶があります。今、読まさせていただき大変なご苦労があった事を知り、益々E851がいとおしく思えるようになりました。ありがとうございます。またいつの日か活躍する姿が見たいものです。JRのEF63と西武のE851をこよなく愛する老人より。

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