あるコラム欄・“あゝ上野駅”

画像 2002年3月31日の刊行を以て最終版となった、43年間にわたって刊行されてきた朝日新聞の「日曜版」。その紙面の中に、「歌にさそわれ」と題したコラム欄があって、歌にまつわる思い出の記事が毎週取り上げられて掲載された。そして、最終版に取り上げられた歌があの青春の応援歌・「あゝ上野駅」(作詞・関口義明 作曲・荒井英一)だった。
 歌手・井沢八郎さん(2007年1月、69歳で逝く)の高く澄んだ伸びのある歌声に載って流れた「あゝ上野駅」は、44年も前の歌になるが、今でもカラオケで十八番とする人も多いことであろう。いつ聴いても、口ずさんでも新たな郷愁への感覚が湧いてくる、「あゝ上野駅」はそんな忘れられない歌の一つだろう。勿論、上野駅に格別な想いを寄せる人にとってこの歌は、まさに人生の拠り所となっているのではないだろうか。
 「歌にさそわれ」のコラムで、取り上げられた最後の歌となった「あゝ上野駅」に関するつれづれを最終版から6年経つ今、「日曜版」の記事から転載して偲んでみる。

♬ あゝ上野駅 ♬ ・・・作詞家の関口さん(62)に会いに行った。「この歌に、縛られ続けて40年、ですか…」自宅の応接間で、関口さんは冗談めかした。山田花袋の「田舎教師」の舞台・埼玉県羽生市郊外の自宅、利根川沿いの畑に住宅が無原則に建ち始めている。
画像 「あゝ上野駅」を作ったのは、関口さん22歳の時だった。米作農家の長男に生まれた関口さんは書くことが好きで、高校生の頃は川柳や一口コントの投稿マニアだった。高校を卒業して地方銀行に勤め、歌謡曲の作詞にこり始めた。そのころ、農村向け雑誌「家の光」が田園ソングを募集していた。賞金3万円と、一流歌手がラジオ・テレビで歌う、とあった。
 失恋女性が上野駅を後に故郷へ帰る歌を作ろう、と連日上野駅へ通った。が、言葉が見つからない。「四日目でした。帰りの電車で、網棚の新聞を見たんです」。その夕刊には、集団就職の話が載っていた。「これだ、地方の若者の応援歌だ、と決めました」。それまでの苦吟が嘘のように、歌詞がスラスラッと、一気に湧いてきた。
 1964年3月、青森県出身の新人歌手・井沢八郎の張りのある歌声がラジオから流れると、感動の反響が殺到した。1953年から運転が始まった集団就職列車は、東京オリンピック(1964年)のこの年最盛期を迎えていた。北の34道県から7万8千人の「金の卵」たちが、都会へと向かった。就職の季節になると、テレビや新聞のニュースは、ボストンバッグや柳ごおりを抱えて上野駅に降り立つ中卒者の姿を流した。白線入りの学帽を目深にかぶった少年たちは、悲しそうに見えた。
 上野駅は、今年2月に改装工事が終わって、暗くて雑然としていたコンコースは明るく一変した。内壁を飾っていた東北各地の酒の看板はマルチビジョンに変わり、大写しのタレントが何やら叫んでいる。1975年3月に集団就職列車は廃止、中卒者たちが降り、東京の土産を携えて戻っていった北国へのホームは、櫛の歯が欠けるように消えた。19・20番線は新幹線ホームとして地下に移され、集団就職列車の専用ホーム18番線も、在来線特急の減少で1999年に廃止された。

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 新装なった構内で、しばらく人々の流れを眺めていた。コンコースの大時計はいつしか、素っ気ないデジタルになった。この駅独特の人間くさいにおいも、塗り立ての明るい壁面が消す。
 歌心には無縁だけれど、すっかり終着駅のにおいも消えたこの駅から、あのような歌はもう生まれまい、そんな確信めいた気がした。
 ヒットの2年後、関口さんは銀行を辞め、作詞家の道を選んだ。売れなかった。あの歌のイメージが強すぎた。アルバイトをしながらの低迷が続く。プロとして独立できたのは、昭和40年代前半のカラオケブームだった。有名歌手たちに歌い継がれ、家族を養える印税が入ってきた。宿命かも知れない。ただ、あの歌が“一世一代のヒット”などと書かれると、つらい。
 仕事に詰まると、上野駅へ足が向く。ふらつくだけで落ち着く。そして、次なる大ヒットをもう一度“スラスラッ”と作ってみたい、といつも思う。 (2002.3.31/原文のまま)

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 “北への玄関”“故郷を感じる駅”“暗く澱んだ感じの駅”などと、上野駅といえば都心部にありながら明るさとは無縁のように思えた。そんな上野駅が、2002(平成14)年2月22日に大幅なリニューアル工事を終えて、生まれ変わった。
 しかし、どんなに上野駅が変わろうとも、あの集団就職列車に揺られて上野駅に降り立ったかつての若者たちのように、関口義明さんにとっての上野駅もずっと、あの日の“上野駅”であろう。北国からの長距離列車が発着した“18番線ホーム”はすでになく、遠い故郷へとつながっていた思い出の情景も消えて、遠い日の上野駅を偲ぶ縁は「あゝ上野駅」の歌の中に残るだけとなった。
 近代化へ装いを変えた上野駅、そして、人々の心に残るその原点は、地方からの若者の応援歌「あゝ上野駅」に生き続ける。 (終)

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