在りし日
峠の鉄路 塩 狩 峠
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作成日時 : 2008/04/18 17:01
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北
上を続けている桜前線も、まもなく海を渡り北海道へ。白一色に埋もれていた宗谷本線(JR北海道)の塩狩駅周辺は、一変して、5月上旬から中頃にかけて見頃を迎えるおよそ1600本ものエゾヤマザクラと花見に訪れる人でしばし華やぎ、やがて新緑に包まれていく。
その塩狩駅(北海道上川郡和寒町塩狩)は、旭川〜稚内間259.4qに及ぶ宗谷本線唯一の難所である「塩狩峠」のサミット(標高263b)を名寄側へ下った直後の、標高256bの所に位置する。
駅の周囲に人家は見あたらず、林立する鉄道防雪林に囲まれた木造の無人の駅舎が、山の斜面を背にしてひっそりと建つ。ただ、山間の小駅には不釣り合いなくらい、1〜2両で走っている列車(気動車)が停まるには長過ぎる上下線2面のホームが、かつて蒸気機関車に牽かれた貨物列車や混合列車が行き交った名残であろう、構内踏切を挟んで交互に鎮座している。
その山間の無人駅・塩狩駅の名が全国的に知られるようになったのは、同駅が位置する日本の何処にでもあるような、鉄道の峠路としては何の変哲もない塩狩峠が、三浦綾子の小説「塩狩峠」(1968
(昭和43)
年9月、新潮社)によって一躍有名となって以来のことである。
ちなみに塩狩駅は、1916(大正5)年9月に信号所として開設され、その8年後の1924(大正13)年11月に現在に至る旅客駅となった。
塩
狩峠は、宗谷本線の蘭留〜和寒間約13q長にわたる、同線沿線で随一の難所といわれているところだ。峠は、南側の標高184.7bの蘭留から始まり、標高339bの蘭留山を回り込むように最急勾配20‰を含む標準18.5‰の勾配と半径250b(最小半径195b)の曲線がサミットまで続く5.6q。そして、サミットを越えた北側(直後に塩狩駅がある)は、勾配が標準20‰とさらに急勾配となるが曲線が少なく、半径300bを下回るのは2カ所のみで、和寒に向け盆地を7.9q下っていく峠路である。
また、宗谷本線と国道40号線が互いに寄り添うようにして、日本最果ての地・稚内を目指して北上していくために越えた難所でもあった。塩狩峠はまた、広大な石狩平野から肥沃な手塩盆地へ入る手塩道の関所でもあったのだ。
ちなみに“塩狩”という地名の由来は、蝦夷地と呼んでいた北の大地を1869(明治2)年に明治政府が11の国を配置して北海道と改め、そのとき当地が手塩と石狩の国境に在ったことから、両国名の一文字を採って名付けられたとされている。
…
「・・
汽車はいま、塩狩峠の頂上に近づいていた。この塩狩峠は、手塩の国と石狩の国の国境にある大きな峠である。旭川から北へ約三十キロの地点にあった。深い山林の中をいく曲がりして越える、かなりけわしい峠で、列車はふもとの駅から後端にも機関車をつけ、あえぎあえぎ上るのである。
・・」…(「塩狩峠」・三浦綾子著)
この小説「塩狩峠」は、主人公の鉄道職員・長野信夫が、峠の頂上付近で起きた列車の分離事故で急勾配を暴走し始めた客車に、自らの身を線路に投じて暴走事故を防いで乗客の命を救ったという内容の、事実に基づいた物語である。
千年斧を入れぬといわれた原野や湿原地帯を縦断し、ようやく官設鉄道手塩線(現・宗谷本線)が旭川から名寄まで開通して6年になろうとしていた1909(明治42)年2月28日の夜、蒸気機関車に牽かれた客車列車(木造客車)が塩狩峠の上り勾配(18.5‰)に差しかかったとき最後尾客車の連結器が外れ、客車は上り勾配を逆走(当時は貫通ブレーキの設備はなく、列車分離には非対応だった)し始めた。折しもこのとき、乗客として乗り合わせていた旭川運輸事務所勤務の長野政雄氏(小説では、“長野信夫”としてある)は直ちにハンドブレーキに取り付き懸命に操作したが、車輪が凍てついたレールの上を滑るが如くに、ブレーキは十分な効きを示さず停車する様子がなかった。
…「・・
ただいまこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、信夫はとっさに判断した。一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。それをふり払うように、信夫は目をつむった。と、その瞬間、信夫の手はハンドブレーキから離れ、その体は線路を目がけて飛びおりていた。
・・」…
長野氏は、とっさにデッキから凍てつく鉄路に飛び降り、客車の前に自らの身を挺し車輪の下敷きとなって上り勾配を逆走する客車を停め、自ら犠牲となって乗客の命を救ったのであった。不幸な事故の原因は、当時使われていたネジ式連結器の強度不足ともいわれたが、列車重量の軽い旅客列車ということで、通常なら峠越えのために列車の最後部にも付くはずの補助の機関車が、連結されなかったのも不運であった。
ク
リスチャンでもあった長野政雄氏の献身的な行為は、鉄道員としての旺盛な責任感の発露であるとしてその精神が広く人々の間で讃えられ、峠の線路脇には「長野政雄氏殉職の地」の碑が建ち、観光客も足を止める。また、直前にサミットを控える塩狩駅を見下ろす小高い場所には、文学の記念館として三浦綾子ゆかりの作品に関する資料・パネル等を展示する「塩狩峠記念館」も建つ。ちなみに、事実に基づいて書かれた、300万部を超えて今も刊行され続けている小説「塩狩峠」は、1973(昭和48)年に松竹で映画化もされている。
北海道とくれば、雄大なスケールの地としてつとに知られるところだが、何処までも続く平地の一方で、その平地を分かつ峠も雄大である。鉄道の峠越えは、建設においても、運転においても難所だった。かつて、青葉の茂る中を、白一色の深い雪の中を、蒸気機関車が牽く混合列車がドラフトを轟かせ重連で挑んだ塩狩の峠の鉄路を、今では気動車が軽快に上下する。
(終)
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